ヨハネの手紙 第一 5章13節
神の御子の名を信じているあなたがたに、これらのことを書いたのは、永遠のいのちを持っていることを、あなたがたに分からせるためです。
永遠のいのちを持っていることの確信
この手紙の著者ヨハネは、「永遠のいのちを持っていることを、あなたがたにわからせるため」に手紙を書きました。天国に行けるかどうかは死んでみないとわからないものではなく、生きている間に永遠のいのちを持っていることを確信することができるということです。そして、救いの確信を持つことはその人の歩みを左右するほど大切です。
永遠のいのちを持っていることを確信するために三つのことを考えましょう。
1、永遠の命を持つ方法について
ローマ人への手紙 3章23-26節
23 すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、
24 神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。
25 神はこの方を、信仰によって受けるべき、血による宥めのささげ物として公に示されました。ご自分の義を明らかにされるためです。神は忍耐をもって、これまで犯されてきた罪を見逃してこられたのです。
26 すなわち、ご自分が義であり、イエスを信じる者を義と認める方であることを示すため、今この時に、ご自分の義を明らかにされたのです。
神様の義の御業について述べられています。すべての人は神様に反抗する罪を持っており、数えきれない罪を犯して、罪の負債を負っています。救いに価する人間は一人もおらず、地獄で罪の罰を受けなければなりません。しかし、神様はご自身が義であられるごとく、キリストを信じるものを義なる者と認めて下さいます。(24節)そのために、罪のない神のひとり子イエス様が人となられ、罪人の身代わりに十字架の上で罪の罰を受けて死んでくださいました。また、イエス様の尊い血によって、罪の負債を支払い、贖って下さったのです。永遠のいのちを持つために必要なことは、イエス様の血が罪を贖うための十分な代価であり、神様の御怒りを宥める唯一のものである(25節)と信じることです。すなわち、イエス様を信じるとは、イエス様の血を信じるということです。イエス様の血を信じる者は、罪が赦されるばかりか、神様の前に永遠に変わることのない義なる者という立場が与えられます。救いは全て神様の御業であり、人間の行いによるものではありません。
2、永遠の命を持っているという確信をどのように持つのか
出エジプト記 12章21~23節
21 それから、モーセはイスラエルの長老たちをみな呼び、彼らに言った。「さあ、羊をあなたがたの家族ごとに用意しなさい。そして過越のいけにえを屠りなさい。
22 ヒソプの束を一つ取って、鉢の中の血に浸し、その鉢の中の血を鴨居と二本の門柱に塗り付けなさい。あなたがたは、朝までだれ一人、自分の家の戸口から出てはならない。
23 主はエジプトを打つために行き巡られる。しかし、鴨居と二本の門柱にある血を見たら、主はその戸口を過ぎ越して、滅ぼす者があなたがたの家に入って打つことのないようにされる。
私たちが「本当に救われている」と確信できる根拠は、自分の行いや感覚ではなく、神様の御言葉です。神様は多くの偶像が礼拝されていたエジプトに対して、過越の災いを下されました。全ての家の長子が殺される恐ろしい災いでしたが、神様はイスラエルの民に対して、救いの方法を用意してくださいました。家の戸口の門柱と鴨居に羊の血を塗るなら、血を見て過ぎ越すと約束されました。血を塗った者の中には、この約束を信頼して平安の内に夜を過ごした者と、罪深い自分を見て不安の内に夜を過ごした者がいたと思われますが、どちらも災いから救われました。神様がご覧になったのは、家の中の人の罪深さや感情ではなく、家の外の血でした。血を塗るために必要なことは御言葉を信じることでした。一方で、御言葉を信じず、血を塗らなかった者には等しく裁きが下されました。大切なのは、血を見て過ぎ越すという神様の御言葉を信頼したかどうかです。同じように、私たちが永遠のいのちを持つために必要なことは、私たちの行いや感覚ではなく、「神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められる」と語られた神様の御言葉を信頼したかどうかです。神様は偽ることの出来ない御方です。神様のみことばの全ては真実です。永遠のいのちを得ることができることを、神様がみことばを通して保証してくださっています。
3、自分の感情(喜んでいるかどうか)により、救いが左右されるか
感情は日により変化するものです。そして、その感情の浮き沈みにより我々は自身の救いを計ろうとしてしまうものです。確かに、救いには喜びが伴いますが、喜びを失うこともあります。イエス様を信じた後でも罪を持っています。神様を悲しませる罪を犯してしまったとき、喜べるクリスチャンはいません。しかし、イエス様を信じるものは決定的に義なる立場と永遠のいのちを頂いており、救いを失うことは決してありません。そもそも私達は行いによらず、神様の御業により救われたからです。罪を犯した場合、一時的に神様との交わりを失いますが、「自分の罪を告白するなら、神様は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちを全ての不義からきよめてくださいます。」「御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。」神様との交わりを回復し、もう一度、喜びの内を歩むことが許されます。ですから、救いは変わってしまう感情に基づくものではなく、変わることのないイエス様の血と、神様の御言葉に基づいているのです。
皆様が、永遠の命を持っているという確信を持っているならば、喜んで礼拝を捧げ、また人々へ救いを宣べ伝えることができます。この喜びのうちに感謝して歩んで頂きたいと思います。
