下に書いてある言葉(ルカによる福音書 23章24節)は、イエスキリストが十字架の上で語られたお言葉です。皆様はイエス・キリストと聞くと、どのようなお方を創造されるでしょうか。キリスト教の始祖、貧しい人とともにいて、病気の人を癒した、いろいろな良い話をした、などそれぞれのイメージがあることでしょう。しかし、皆さまの中で、イエス・キリストと聞いて、極悪の犯罪人だと思われる人は、恐らくいないことでしょう。
しかし、イエス様は生涯の最期、十字架に処せられました。十字架は極刑です。
なぜ、イエス様は十字架に架かられたのでしょうか。

この人には何の罪も見つからない(ルカの福音書 23章4節)
今から約2000年前にイエス様はこの地上にお生まれになられました。その生涯は、完全なものでした。当時の社会において、病はその人の罪からくると考えらえていました。ですから、盲目の人や足の不自由な人を見ると、人々は蔑んでいたのです。しかし、イエス様はそれらの人々の病を癒され、愛を示されました。イエス様はその生涯において、素晴らしい愛を示され、そしてみことばを語り続けられたのです。しかし、その生涯には、困難がいつも付きまとっていました。当時社会的地位があった、パリサイ人や律法学者たちに妬まれ、命を狙われていたのです。彼らは、あらゆる機会を通し、イエス様を何とかして殺そうとしていました。しかし、どんな時においても、愛をもって対応されたのです。しかし、最後には弟子のユダの裏切りを通して、イエス様を裁判にかけたのです。その裁判の席において人々は、イエス様を死刑にするため多くの訴えをしましたが、何一つ成立するものはありませんでした。しかし、イエス様はそれらの虚偽の証言に対しても反論なさることなく、耐え忍ばれたのです。この裁判の後、総督ピラトに引き渡されました。ピラトはイエス様に対して、無罪であると3度も語っています。しかし、人々はその時、「十字架だ。十字架につけろ」と叫んだのです。その結果、ピラトは彼らに屈し、死刑の宣告を下しました。イエス様は事実無根の罪で、十字架刑に処せられたのです。十字架に架かられる苦しみをお受けになりました。しかし、いかなるときも忍耐されたのです。死に至っても、人々を憐れまれ、とりなしておられるのです。なぜ、イエス様はこれ程悪意を持ち、危害を加えた人々を愛されたのでしょうか。
なぜ、根拠のない罪状で十字架刑をお受けになれたのでしょうか。
人類の罪
イエス様を十字架に架けた人々は、イエス様をねたみ、憎んでいました。神様を無視し、憎むことは大きな罪です。そして、その罪は皆さまにもあります。現在の社会でも、多くの人々が、真の神様を無視し、憎んでいるのです。自分にとって都合の良い神を作り上げ、拝んでいます。人間にとって神とは、願いを叶えてくれる都合の良いものでしかないのです。また、他にも多くの罪を犯しています。神様は、この人間の罪に対して、大きな怒りを抱いておられます。そして、悲しんでおられるのです。
罪の結果…
義人はいない。1人もいない。(ローマ人への手紙 3章10節)
すべての人間は罪人です。神様の罪に対する怒り、悲しみは大きなものです。それゆえ、人間に死後のさばきを定められました。それが永遠の地獄です。聖書には地獄は硫黄の燃える火の池と書かれています。硫黄は燃えると有毒なガスが発生します。そこに入ると有毒なガスと灼熱の炎の中で悶え苦しみ続けなくては、いけないのです。そして、罪人は皆地獄へと向かっているのです。そして、皆さまもまた、地獄へと向かっています。
地獄からの救い
しかし、神様は地獄へと向かっている人間を哀れみ、愛してくださっています。そして、人間に救いの道を用意してくださいました。それこそが、イエス様の十字架です。イエス様が多くの苦しみ、困難な時を耐え忍ばれ、虚偽の訴えにも忍耐されたのは、人間を地獄から救うためだったのです。イエス様は、人々から罵られ、暴虐の限りを尽くされ、両手両足を釘で打たれ、十字架にかけられました。そして十字架上でも6時間もの間、苦しまれたのです。そして、死なれたのです。その後、墓に葬られ3日目の朝に復活されました。イエス様は真の神様であられたからです。まず、皆さまの罪を神様の前に認めてください。そして、このイエス様の十字架での使徒3日目の復活を事実として信じ、イエス様を真の神様、救い主として信じるなら、皆さまの罪は全て許されます。そして、地獄ではなく神様のおられる天国に行くことが出来ます。イエス様は1人でも多くの人を地獄から救うため、十字架に架かられたのです。多くの苦しみ、困難を耐え忍ばれました。今、この記事を読んでいるあなたを救うために耐え忍ばれたのです。どうか、このイエス様の素晴らしい愛を受け取って下さい。

