恵みあるうちに 2021年 2月119号 「死に打ち勝つ希望はありますか?」

恵みあるうちに119号

死に打ち勝つ希望はありますか?

 あなたには愛する人がいますか。仮に、あなたの最愛の家族が重い病気で、死にかかっているとします。そのような時、一体あなたは何と言葉を掛けますか。 「大丈夫だから。」「すぐに良くなるから。」といった気休めではなく、絶望の中、死を迎えようとしている父母に「希望」を与え、死を目の前にして恐怖に震える我が子に「平安」を与える、 そんな言葉をあなたは掛けることができますか。 死は私たち人間にとって現実問題です。死を逃れることは誰にもできません。私たちの愛する人も、そして私たち自身も、いつか必ず死ななければなりません。ですから、生かされている今、死について真剣に考えて下さい。そして、 死に打ち勝つ希望を持つ方となって下さい。

あなたがたには、あすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現れて、それから消えてしまう霧にすぎません。(ヤコブの手紙 4章14節)

  死とは何か?

 ある有名な僧侶が「人は死んだらどうなるのってよく聞かれるけど、そんなことわからない。だって私まだ死んでないんだもん。」と、語っているのを読んだことがあります。死とは何かを人間に尋ねても、そこには確かな答えはありません。せいぜい人間は「死とは消えてなくなることにちがいない。」といった憶測や、「こうであってほしい。」という希望(願い)を語ることしかできません。
 しかし、天と地と私たち人間を造られた真の神は、神のことばである聖書を通して、死についてはっきり語っておられます。

たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、・・・。(ヤコブの手紙 2章26節)

 死とは、魂と体が分離すること です。人間は肉体だけから成っているのではなく、肉体の中に魂が宿っています。それは人間が偶然の産物ではなく、神によって造られた被造物だからです。肉体は魂を入れる器にすぎません。 ですから、人間は死んでも、肉体が死ぬだけで魂は存在し続けます。私たち自身が消えてなくなることはありません。死んだ人間の魂は肉体から離れて、死後の永遠の世界に行くのです。これが、聖書が語る「死」です。

 死に対する恐怖

 人間は死を恐れています。全ての人の中に、死に対する恐怖があります。だから人間は、死から顔を背け、死について考えないようにするのですが、それでは問題の解決になりません。それはちょうど、ダチョウが敵に襲われそうになった時に、藪や土の中に頭を入れて敵から顔を背け、敵がいなくなったと思い込むのと同じです。実際には、危機的状況は何も変わっていません。
 なぜ人間は、ここまで死を嫌い、死を恐れるのでしょうか。 それは、死の向こうに何か恐ろしい世界があると感じているからです。神は人間の心に良心を与えておられます。 良心とは、良い心のことではなく、善と悪を判断する心の機能のことです。この良心の働きによって、人間は自分が罪人であることを自覚しており、罪に対する刑罰を意識しているのです。
 例えば、車を運転していて、自分の後ろを走っているのがパトカーであることに気がついて「ドキッ」とすることがあります。とっさにシートベルトを確認したり、スピードメーターに目をやることがあります。それは、良心の働きによって、自分の運転にも非があることを自覚しているからです。
 このように、人間には良心の働きによる罪の自覚があり、それが人間に罪の刑罰を意識させ、死に対する恐怖を与えているのです。

 死の向こうに何が?

 では、神は死の向こうに何があると語っておられるでしょうか。

人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている(ヘブル人への手紙 9章27節)

 良心だけでなく、神ご自身も死後にさばきがあると宣言しておられます。そのさばきの場は火の燃える地獄です。
 人間は皆、正しい神の前に罪人です。人間は創造主であられる真の神のご存在を認めず、人間が木や石で作った偽の神々(偶像)を拝み、欲望を追求して生きています。神を軽んじ、神の主権をあなどるなら、その報いは地獄での永遠の刑罰です。

彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。彼らは、そのようなことを行えば、死罪に当たるという神の定めを知っていながら、それを行っているだけでなく、それを行う者に心から同意しているのです。(ローマ人への手紙 1章29~32節)

死に打ち勝つ希望

 では、私たちには希望はないのでしょうか。人は絶望のうちに死を迎える以外にないのでしょうか。 決して、そうではありません。神は私たちをなおも愛してくださり、地獄からの救いを用意して下さいました。
 神はご自分のひとり子であるイエス・キリストを、天からこの地上に人としてお遣わしになり、私たち人間の全ての罪をキリストに背負わせ、私たちの罪のためにキリストを十字架上でさばいて下さいました。さらに神は、十字架で死なれたキリストを死後三日目の日曜日によみがえらせて下さいました。キリストのよみがえりは宗教の作り話ではなく、歴史的事実です。
どうか、あなたもキリストを信じて、罪ゆるされ、天国に行かれる方となって下さい。

わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。(ヨハネの福音書11章25節)  

目次