人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている(へブル人への手紙 9章27節)
「家に帰ってやり残したことを片付けなさい。」と医者から勧められた人がいました。この人は末期の癌でした。ある日突然、死ぬ準備をしなさい、家族に別れを告げなさいと言われたのです。もしあなたにも同じことが起こったならどうされるでしょうか。
多くの人は生きている間の事だけに心を向け、死を直視しようとしません。死はタブー視されています。死なんてまだまだ先の事である、私とは関係がないと考えているかのようです。しかし死は現実です。日本における昨年の死亡者数は、約80万人でした。(総人口の160人に1人)死は決して他人事ではありません。あなたは死と死後についての答えを持っておられるでしょうか。
死の現実
人は死にます。死は人の身分や年齢に関わらず、全ての人に等しく訪れるものです。
学校に通う学生にも、仕事や子育てに忙しい方にも、ゆったりした老後を過ごしている方にも差別はありません。幸せを感じている時でさえ死は容赦なく訪れます。死が「いつ、どこで」訪れるかは誰にもわかりません。それはずっと将来のことかもしれませんが、すぐ目の前に迫っているかもしれません。
聖書が語る死
聖書は、「死後にさばきを受けることが定まっている」と語っています。死は終わりではありません。人は死んで消えるのでも、生まれ変わるのでもありません。死後に恐ろしいさばきを受けなければなりません。なぜなら全宇宙を創造し、人を生かしておられる唯一、まことの神様がご存在され、人はこの神様に対して罪をおかしているからです。木や石で作られた偶像を拝むことは、神様を無視する罪です。人をののしり、暴力をふるい、盗み、嘘をつくことも神様が憎まれる罪です。神様は聖なる、正しい方ですからすべての罪人をさばかなければなりません。
そのさばきとは火の池の地獄に投げ込まれ、永遠に火で焼かれるという刑罰です。地獄に入ると二度と出てくることはできません。人は自分が犯した罪のために、死後にさばきを受けなければなりません。
死の備え
なぜ神様は死後の定めについて聖書に記されたのでしょうか。人に死の備えをさせるためです。生きている間に死後のさばきを知らせ、罪を認め悔い改めさせ、地獄からの救いを求めさせるためです。
人には自分を救うことも他の人を救うこともできません。犯した罪を解決することができません。しかし、神様には人に罪の赦しを与え、地獄からの救いを与えることができます。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネの福音書 3章16節)
備えられた救い
神様は人を愛しておられます。事実、人を救うために救い主を与えてくださいました。その御方こそ神の御子イエス・キリストです。神の御子が天より下り、人となられました。このお方に罪はありませんでしたが、ご生涯の最後に十字架につけられました。それは全人類の身代わりとなって罪の罰を受けるためでした。そして、死後三日目に死の力を打ち破りよみがえられました。そしてこのお方を信じる人には罪の赦しと永遠のいのちが与えられます。もはや地獄ではなく天国に行くものと変えられます。
イエス・キリストを信じ、救いを得ることができるのは生きている間だけです。死んでからでは手遅れです。ですから、救いを受けることができる今のうちに罪を認めてイエス・キリストを自分の救い主、唯一の神と信じる方となってください。死に備えてください。生かされている恵みがあるうちに。
確かに、今は恵みの時、今は救いの日です(コリント人への手紙 第二 6章2節)

