2026年9月礼拝メッセージ②

ローマ人への手紙 8章28~30節

28 神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。
29 神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。
30 神は、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と認め、義と認めた人たちにはさらに栄光をお与えになりました。

ローマ人への手紙 8章28節(エマオ出版訳)

28 私たちは、神が神を愛する者たちのために、神の目的に従って召されている者たちと共に、すべてのことを益に向けて動かしておられることを知っています。

目次

益 ~キリストと似たものとされる~

 28節の「益」とは、私たちクリスチャンがイエス様に似たものとされるということです。そのことは、29節の「御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。」と記されている通りです。そして、この「益」のために、すべてのことが動かされています。

 この「益」は、神様のご栄光が表されることの具体的な方法といえます。私たちは生涯をかけて、空中再臨で天に挙げられるまで、この「益」を毎日の目標として歩むのです。

 この「益」に向けた神様の導きは、しばしば、私たちに苦しみの中を通らせることによってなされます。神様の我々に対するお取り扱いは、人生における、苦しいこと、悲しいこと、辛いことを通して、イエス様の苦難を学ばせようとすることにあるからです。
 救われてほしいと心から願い、伝道した人から、反発を受けるならば、我々は心が痛みます。しかし、この時私たちは、イスラエルの人々を愛したにも関わらず、排斥されたイエス様の大変なお苦しみの一部を偲ぶことができるのです。
 また、これらのお取り扱いはイエス様の許しのもとに与えられます。ですから、私たちは苦しみ、困難に直面したとしても、イエス様が苦しみを通して味わった御思いを知る機会として受け入れてよいのです。

 私たちは人生に一度しかないような大変な苦しみを経たときでさえ、十字架の御苦しみのすべてを知ることはできません。しかし、その時こそ、イエス様のお心を私たちのものとする最大のチャンスといえます。

私たちはキリストの心を持っています。(コリント人への手紙 第一 2章16節)

とあるように、私たちにはキリストの心が既に与えられていますが、辛いこと、苦しいことを通して、ますます養われ、成長へと導かれます。私たちの心が、キリストの心に似せられていくことにより、「益」つまり神様のご栄光が表されるのです。

 29節後半を見ますと、さらにこの目的がはっきりとします。「長子」とは、すべての兄弟の中で最も優れたものを意味します。御父にとっては「長子」とは、最愛の対象である、御子イエス様のことです。アダムとエバの罪により汚され、サタンに奪われてしまった神様の栄光を、いのちを賭して、回復なさったお方です。
 そのイエス様に似たものが、また一人と増し加えられていくのですから、御父にとってどれほどの喜びでしょうか。御子に似たものである我々の「長子」であられるイエス様の御名が、父なる神様の誉として崇められることになるのです。

 ですから、私たちはますますイエス様に似たものとされることを求めて行きましょう。苦しいこと、辛いことがあったとしても自分を責める必要はありません。神様が許されたお取り扱いです。神様の導きであることを確信して、イエス様の御名が崇められることを求める者でありましょう。

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