エペソ人への手紙 5章1~2節
1 ですから、愛されている子どもらしく、神に倣う者となりなさい。
2 また、愛のうちに歩みなさい。キリストも私たちを愛して、私たちのために、ご自分を神へのささげ物、またいけにえとし、芳ばしい香りを献げてくださいました。
愛されている子どもらしく
イエス様を信じて救われた私たちは、「神の子」とされています。ギリシャ語では、テクナという言葉が使われており、「神様によって、神様のご性質を頂いたものとして、誕生させられたもの」という意味です。アダムの子孫として罪の奴隷であったことを考えるときに、どれほど素晴らしい身分を頂いているかがわかります。
ですから、神の子として私たちは神様に受け入れられ、愛されています。この愛は、神様による過去、現在、未来に渡る永遠の愛です。
過去における愛
父なる神様は、約2000年以上前に御子イエス様を私たちの罪を赦すために、十字架にかけてくださいました。イエス様は私たちの生涯すべてにおけるあらゆる罪の身代わりとなって死なれました。私達の救いは神様によって定められていたのです。
イエス様が十字架上で経験なさった屈辱ほど耐え難いものは、歴史上でもないと言えます。顔は殴打により歪み、頭は茨の冠により、痛みと流血が生じていました。鞭うたれた背中は引き裂かれており、骨が露出していたほどであったかもしれません。また、服を着ることも許されず、十字架に両手・両足を釘付けにされ、6時間も生きたままさらされたのです。
このような大変な苦しみにあったイエス様の十字架こそが、私たちへの愛でありました。
現在における愛
神様は、今も私たちに愛を注がれています。
わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない。(へブル人への手紙 13章5節)
愛するということは、ともにいることです。ルカの5章において、自身の罪深さを自覚したペテロは、「私から離れてください。」と言いました。イエス様の前にひれ伏すことしかできず、御側にいることをためらうほど、私たちは罪人なのです。しかし、イエス様はむしろ喜んで私たちの心の中に住んでくださる愛なる御方です。
未来における愛
イエス様はもうすぐ、私たちを空中まで迎えに来てくださります。永遠に花婿であるキリストの愛を受ける存在として、花嫁である教会を天へと引き上げてくださいます。この希望こそイエス様の愛です。私たちクリスチャンはその時を心待ちにしているのです。
これらの愛を根拠として、私たちは「神に倣う者となりなさい。」と勧められているのです。私たちがイエス様に倣う者となりたいと思う動機もまた愛によるのです。
「だれが主の心を知り、主に助言するというのですか。」しかし、私たちはキリストの心を持っています。(コリント人への手紙 第一 2章16節)
神様は、私たちに、キリストの心を与えてくださいました。このキリストの心を手本とすることで、私たちはキリストに似たものとされることができるのです。そこには、ご聖霊も働かれます。聖霊なる神様の導きの内に、生涯かけて私たちは、神様の愛により、キリストに倣い歩むことができるのです。
そういう意味では、クリスチャンの人生には終わりがありません。天に帰った時に、
「よくやった。良い忠実な下僕だ。」(マタイの福音書 25章21節)
という言葉を頂くならば、なんと光栄なことでしょうか。
その際に、神様の愛の模範と、キリストの心と、ご聖霊の導きによる結果であることを覚え、尊い御名をあがめることができる幸いを心から感謝いたしましょう。
私たちは、素晴らしい人生を委ねられているのです。
※キリストに似たものとされることに関しては、下記メッセージでも取り上げております。

