聖書ってどんな本?②

聖書を読むとき、単なる教えや物語の集まりではなく、一つの大きな流れがあることに気づかされます。​
その中心にいるのが、イエス・キリストです。​

聖書全体が指し示すお方

イエスは、「あなたがたは聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書は、わたしについて証ししているものです」と語られました。​
この言葉は、聖書全体の主題が「イエス・キリスト」であることをはっきり示しています。​
神は、人間がさまざまな宗教や思想に迷わされてしまわないように、「救い主はこの方だ」と確かに分かるよう、聖書を与えてくださいました。​

特に旧約聖書には、これから来られる救い主に関する預言が実に300以上記されています。​
未来の出来事が、何百年も前に具体的に語られ、それが歴史の中で成就することは、一つだけでも大きな奇跡と言えるでしょう。​
にもかかわらず、その数百年前の預言が、イエス・キリストにおいて次々と現実になっていったのです。​

救い主についての数々の預言

旧約聖書には、救い主がどのようにこの世界に来られるのか、どの民族・どの家系に生まれるのか、どのような死を遂げるのか、とても具体的に語られています。​
たとえば、救い主は処女から生まれること。​
アブラハムの子孫、イスラエル民族から生まれること。​
そのイスラエル民族の中でも、ユダ部族から生まれること。​
さらにユダ部族の中のダビデ王の家系に生まれること。​

生まれる場所についても、「ベツレヘムの町」であることが預言されています。​
また、救い主は「全人類の罪のための身代わり」として死ぬこと、突き刺されて殺されることまでもが示されていました。​
エルサレムの城壁の再建命令から483年後、すなわち西暦27年に公に現れる、という具体的な年代に関する預言もあります。​
これらは、単なるあいまいな予感ではなく、歴史の中で一つ一つ確かめられる具体的な印です。​

イエス・キリストに成就した預言

旧約聖書のこれら多くの預言が、イエス・キリストの生涯においてすべて成就しました。​
処女マリアから生まれたこと、アブラハムの子孫としてイスラエルに生まれたこと、ユダ部族でありダビデの家系に属していたことは、系図や歴史の証言から分かります。​
生まれた場所も、預言どおりベツレヘムでした。​

やがてイエスは、公生涯の始まりにあたる時期、まさに西暦27年前後に人々の前に現れ、宣教を始められました。​
その歩みの最終的な結末は、十字架刑という、まさに「突き刺されて死ぬ」形の死でした。​
こうして、ばらばらに語られていたように見える多くの預言が、一人の人物の生涯の中でつながっていくのです。​

「後から作られた救い主」ではない

イエス・キリストについて語るとき、「後世の人々が偉大な人物を祭り上げて、救い主に仕立て上げたのではないか」と考える人もいるかもしれません。​
しかし、聖書が示すのはその逆です。​
イエスは、人々が後から作り上げた宗教上のヒーローではなく、天地創造の神が、救いの計画に従って歴史の中に送り出された、ただ一人の救い主です。​

救い主に関する300以上の預言が、長い年月と多くの著者をまたいで記されてきたにもかかわらず、一人の人物において「ことごとく成就した」という事実は、偶然や作り話では説明しきれない重みを持っています。​
神は、真理を求める人が「救い主が誰であるか」を確かに見いだせるよう、聖書全体を通してイエス・キリストを指し示しておられるのです。​

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聖書が示す唯一の救い主

聖書の主題は、道徳の教訓や生き方のヒントだけではありません。​
中心にあるのは、「罪ある人間をどのように救うか」という神のご計画であり、その計画の中心にイエス・キリストが立っておられます。​
神は、人間に多くの選択肢を並べて「好きなものを選びなさい」と言われたのではなく、「この方こそわたしの備えた救い主だ」と、具体的な印と預言を通して示されました。​

自分の生き方や信じてきたものを振り返るとき、「本当に信頼できる土台はどこにあるのか」と問いたくなることがあります。​
その問いに対して、聖書は静かに、しかし力強く、「このイエスこそ、神があなたに与えられた救い主です」と語りかけているのではないでしょうか。​

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