恵みあるうちに 2022年 11月125号 「クリスマスって何の日?」

恵みあるうちに125号

クリスマスって何の日?

 毎年十二月になると、日本や多くの国々でクリスマスが祝われます。クリスマスとは、そもそも何の日なのでしょうか?クリスマス(Christmas)は、Christ(キリスト)とmas(祝い)を合わせた言葉で、それはイエスキリストが、今からおよそ二千年前にユダヤのベツレヘムで誕生されたことをお祝いする日です。
 多くの人に親しまれ、慕われてきた人ですので、その誕生について盛大に祝われたとしても不思議ではありません。今から二千年も前の御方が、いまだに毎年、しかも多くの国々で祝われ続けているということは大変珍しいことです。
 では、それほど多くの人々から慕われ、祝われてきたキリストは一体どのようなことをされた御方なのでしょうか?
 聖書に次のように書かれています。

キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。(ペテロの手紙 第一 2章24節)

 キリストが公生涯の最後に十字架刑に処せられて死なれたということは、誰もが知っている事実です。実に、このキリストの死は、私たちが受けるべきであった罪の刑罰を身代わりにお受けになるためのものであったのです。このことについて正しく理解するために、まず人間の罪について聖書が何と語っているのかを知らなくてはいけません。罪というと、殺人や強盗などの、法律によって裁かれるべき行為を連想する方が多いと思います。もちろんそれらは罪ですが、聖書が教えている罪は、天と地をお造りになられた神様を無視して生きていること全てを指しているのです。
 聖書は、創造主が確かにご存在されることについて教えています。神様は、架空の存在ではなく、実在しておられるのです。

神ご自身がすべての人に、いのちと息と万物を与えておられるのです(使徒の働き 17章25節)

 しかし、多くの人間は創造主を否定し、地球や、そこに住む全ての生命が進化によって偶然に生まれたと考えているのです。もしも自分を愛し、育ててくれた親を、子供が無視して否定するようなことがあるならば、それは大変酷い行為です。同じように、私たちの造り主であられる偉大な神様を無視することは大きな罪なのです。神様は、私たち人間がどのように生きているのか見ておられ、全てご存じなのです。

神の目にはすべてが裸であり、さらけ出されています。この神に対して、私たちは申し開きをするのです。 (へブル人への手紙 4章13節)

 嘘、喧嘩、盗み、不道徳、不倫、妬み、争いなどの全てのことが神様の前では隠すことが出来ません。
神様は、義なる御方ですので、全ての罪に対して厳しい裁きを人間の死後に用意しておられます。裁かれた人間に待ち受けているのは、永遠の炎が燃える地獄なのです。

人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている(へブル人への手紙 9章27節)

ただ、さばきと、逆らう者たちを焼き尽くす激しい火を、恐れながら待つしかありません。(へブル人への手紙 10章27節)

 しかし、神様は義なる御方であると同時に愛なる方です。罪を憎んでおられますが、人間が滅びることを決して願ってはおられません。そこで神様は全人類を救うために、愛する神のひとり子をこの地上に遣わして下さったのです。それがイエス・キリストなのです。キリストは十字架の上で全人類の全ての罪を背負って下さり、身代わりとなって刑罰を受けて下さったのです。

キリストも一度、罪のために苦しみを受けられました。正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたのです。(ペテロの手紙 第一 3章18節)

 キリストは十字架で死なれただけではありません。その死が確かに全人類の身代わりであることの証拠として、三日目の日曜日の朝に歴史上の事実として、よみがえられたのです。イエスキリストは、唯一にしてまことの救い主であられることを示して下さいました。
 今や誰であってもキリストを自分の救い主として信じ受け入れるならば、罪が全て赦されて、地獄ではなく天国に行く者とされるのです。私たちの罪を赦し、死の問題を完全に解決できる御方はイエスキリスト以外には決して誰もおられません。ですから、罪を悔い改めてください。
 冒頭で説明したキリストが多くの人々から慕われている理由がここにあります。この新聞を読んで下さったあなたにも、是非ともお勧めいたします。どうか、まことの神様に立ち返って下さい。そしてイエス様をお信じになり、罪の赦しと永遠のいのちを受け取る方となって下さい。

主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました。 (ローマ人への手紙 4章25節)

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