恵みあるうちに 2013年9月 91号 「神を見出した科学者」

恵みあるうちに91号

 近年、「バイオミメティクス(生物模倣技術」に関する研究が世界中で注目を集めています。これは生物の優れた構造や機能を模倣する技術であり、実際の製品開発に取り入れている企業も数多く存在しています。たとえば、 壁などを自在に移動する 「ヤモリの足」の仕組みを取り入れた強力な粘着テープ、ネコの舌の表面にある無数のトゲ状突起を真似て作られた掃除機のスクリュー、強くてしなやかな「クモの糸」で作る自動車のボディーなど、その実用例は様々です。
 無限の可能性を秘めた次世代技術のヒントは、身近な自然界の中に存在していたのです。ある開発担当者は「自然は偉大な教科書だ」と語りました。人間が最新技術の粋を集めたとしても、素晴らしい自然界の仕組みには及びもつきません。
 さて、先に述べた粘着テープや掃除機のスクリューが偶然にできることはありません。制作者が存在することは明らかです。それでは、偉大な教科書である自然界をお造りになられた御方はいったいどなたなのでしょうか?

みことば

神を見出した科学者

 ジェームズ・アーウィンという宇宙飛行士がいました。彼は、宇宙船アポロ十五号に乗って、月面に着陸した科学者の一人です。彼は当初、無神論者でしたが、月での経験がきっかけとなり、地球に帰還した後、クリスチャンとなりました。
 月へ行くために彼は、何年にもわたる厳しい訓練の日々を送りました。そのため、彼は家庭を犠牲にせざるを得ませんでした。無神論だった彼にとって、自らの能力と名誉心が心の拠りどころだったのです。彼の妻は家庭をかえりみない夫の姿に寂しさと不満を募らせていきました。その結果、家庭は崩壊寸前となり、そのような状況の中、彼は地球を飛び立ったのです。
 

 月から見える地球は、暗黒の宇宙に浮かぶ命のオアシスのようでした。月面での様子を彼は次のように語っています。
 「動くものはない。風もない。だが、まるで生まれ故郷にいるような安心感があった。すぐ後ろに「神」がいる感じがして、何度も振り返った。

 彼は広大な宇宙の中で神様のご存在を強く意識しました。 「神様は確かにご存在される」その思いに導かれるまま、彼は地球に戻ってすぐに教会の礼拝に出席しました。そして、聖書に記されている最初の御言葉に衝撃を覚えました。

初めに、神が天と地を創造した。(創世記 1章1節)

 それから後、彼はむさぼるように聖書を読み始めました。月面で強く意識した神様が確かにご存在されること、また、聖書を通して御自身を啓示されていることを知ったのです。彼は妻と共に、神が人となられたイエス・キリストを救い主と信じて救われ、クリスチャンとなりました。
 聖書の御言葉によって目が開かれた彼は宇宙飛行士としてではなく、クリスチャンとして妻と世界中を回り、イエス・キリストを信じる者に与えられる救いについて語り続けたのでした。

 「人が月面を歩いたことより、キリストが地上に降り立ったことのほうがはるかに重要だ。それを知らせるために、神はわたしを月に導いたのだ」(ジェームズ・アーウィン)

 彼は地上での歩みを全うし、六十一歳の時に天へと帰りました。

真の神様のご存在

 神様のご存在は、被造物( 宇宙に存在する自然や人間すべて) によって知られ、はっきりと認められる、と聖書に記されています。たとえば宇宙船は、人間によって設計され、組み立てられます。月に到着するための正確な軌道計算に基づいて打ち上げられるのです。宇宙船があるということは、それを作った人間が存在することの証拠です。
 それでは、地球をひとつの宇宙船と考えてみましょう。この宇宙船は、平均気温が年間を通して十五度に保たれています。しかも、水や食物といった大切な物質も十分に確保できます。この宇宙船は、一年をかけて太陽の周りを回転し、今も昔も変わらず同じ軌道を飛行しています。
 このような宇宙船が偶然にできたと考えることは不可能です。地球の存在は、それらを造られた真の神様がおられることの証拠なのです。

神様を無視した人生の結末は・・・

 ところが、悲しむべきことに、ほとんどの人々が天と地を創造された真の神様を信じていません。私たち人間は神様によって造られ、今も生かされています。子供は親の存在を認め、忘れることはないでしょう。ところが、人間は真の父である神様を忘れ、無視して生きています。
 そのために、人間は神様を恐れることを知らないのです。人間は万物の霊長だとおごり高ぶり、豊かな生活を求めて、必要以上に自然界を破壊し続けています。このまま人間の勝手な都合によって自然破壊が続けられるならば、地球は不毛の大地と化してしまいます。
 聖書は、神様のご存在を認めず、 欲望を神として歩むことを 『罪』と記しています。罪の恐ろしさは、自然を破壊するだけにとどまりません。罪の本当の恐ろしさは、その結末にあります。

罪からくる報酬は死です。(ローマ人への手紙 6章23節)

人間には一度死ぬこととさばきを受けることが定まっている(へブル人への手紙 9章27節)

 罪のもたらす最も恐ろしい結末は、死後にその罪の刑罰を受けることにあります。人間は死んで終わりではありません。死後に用意されている刑罰の場である地獄で、罪の裁きを永遠に受け続けなくてはならないのです。

神様はあなたを愛しておられます

 親が子を愛するように、神様も罪人である私たちを心から愛しておられます。それゆえ、 人間が本来、地獄で受けるべき罪の刑罰をイエス・キリストが身代わりとなって受けて下さったのです。主イエスの十字架の死は、皆様を地獄から救うためのものでした。
 イエス様は十字架上で確かに死なれましたが、死後三日目に死から復活されました。事実、イエス様の墓は現代でも残っていますが、中は空っぽです。イエス・キリストこそ真の神様であり、救い主でいらっしゃいます。
どうか、イエス・キリストを皆様の神、救い主として信じ受け入れて下さい。イエス様を信じる信仰によって、罪が赦され、地獄から救われます。そして、神の子供とされて素晴らしい天国へ行く者とされるのです。

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