うるま恵みキリスト教会

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福音新聞

No.33 岩の上の家

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ですから、わたし(=イエス・キリスト)の
これらのことばを聞いて、それを行う者はみな、
岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。
雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、
家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。
新約聖書 マタイの福音書 7章24節~25節

1995年の阪神・淡路大震災において、神戸市須磨区にある板宿商店街は、周辺の商店街が壊滅的な被害を受ける中で、奇跡的に大きな火災や倒壊を免れました。これは、震災前に行った地盤改良や、頑丈な建物造りの故でした。

老朽化に伴って建て替えを余儀なくされた時、工事の設計を引き受けた設計士が地盤調査をしたところ、砂地の軟弱地盤であることがわかりました。そのため、地中深くの岩盤にパイルを打つことを提案しました。しかし、これには工費も工期も余計にかかってしまいます。一日も早く店を開けたい一部の店主たちは反対しました。けれども、設計士は商店街の組合を説得して、提案通りに 30メートル下の岩盤にパイルを打ち、その上に建造物が建てられ、1989年に完成しました。そして、6年後の1995年1月17日にあの大震災が起こりました。

周辺の長田区や須磨区の一部が巨大地震とそれに続く火災で延焼した中、板宿商店街は奇跡的に火災を免れました。このため、震災直後から地域住民の避難場所や救援活動の拠点として機能しました。

これは、突然襲い掛かる災害に備えることがいかに大切かを学ばされる出来事です。そしてこれは、表題のキリストのことばの実例と言えます。

しかし、このキリストのことばは、自然災害への対策について語られたものではなく、「人生の土台」について語られたのです。

私たちの人生にも、突如として暴風雨や震災のような大問題が襲うことがあります。そして、備えが十分で無いなら、せっかくの人生が台無しになってしまいます。キリストは先のことばに続いて以下のように語られました。

「また、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人にたとえることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもその倒れ方はひどいものでした。」(同26節~27節)

では、キリストのことばを聞いてそれを行うことが「岩の上の家」となり、そうでなければ「砂の上の家」とは、どういうことでしょうか。

多くの人は、人生とはこの地上で生きている間のことだけだと考え、その間に栄えること、成功することを求めます。言い換えれば、死後のことは考えていません。しかし、キリストは、人間は死んで終わるのではなく、死後の世界があること、そしてそれが、天国と地獄であることを語られました。

「生涯の間に犯した罪が、神によって赦された者は天国に行き、神と共に遠に生きることができる。しかし、罪が赦されないまま死んだ者は、その後、神からの裁きを受けて、地獄で永遠に苦しまなければならない。」ということです。

イエス・キリストは単なる人間ではなく、誕生する前から旧約聖書に預言され、その預言通りに生まれ生涯を送られた、神の御子が人となられたお方です。公の生涯(およそ30歳からの3年~3年半)において数多くの奇跡を行われたことも新約聖書の福音書に正確に記録されています。

また、自らの予告通りに死後3日目に肉体を持って復活し、葬られた墓から出て来られ、40日に亘って多くの弟子たちにその姿を現されました。ですから、キリスト宣教を開始した当時の弟子たちは、どんな反対や迫害を受けても、命をかけてキリストを信じ、キリストを宣べ伝えたのです。このことから、キリストは、確かに人となられた神の御子であったことがわかります。それゆえ、語られたことばはすべて真理なのです。

そして何よりも大切なことは、そのキリストが十字架に架かられたことです。それは、私たち人間を、死後に受けなければならない罪の刑罰から救うためでした。キリストは、私たちの罪をその身に背負って十字架に架かられ、身代わりとなって罪の刑罰を受けてくださったのです。このためにこそ、キリストはこの世に来られたのです。そして、その御業の完成の印としてよみがえられたのです。

イエス・キリストを救い主と信じ受け入れるなら、罪が赦され、永遠のいのちが与えられて死んでも天国に行く者となります。これによって、皆様が「岩の上の家」となることができるのです。

どうか、イエス・キリストを信じ受け入れられ、皆様が「岩の上の家」となられますように。

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