うるま恵みキリスト教会

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福音新聞

No.27 本当の平安

 

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「神は われらの避け所 また力。
苦しむとき そこにある強き助け。
それゆえ われらは恐れない。」(詩篇 46篇1,2節)

アメリカのとある町でのこと。その町の美術館では、毎年恒例の絵画展が開かれました。その年のテーマは「平安」です。そして、このテーマにふさわしい多くの作品が集まり、展示されました。

最終日には審査員たちによって、受賞作品を決める投票が行われ、2つの絵が最後の審査に残りました。その一つは、静かな夜の湖の絵です。森の中の湖の上に月の光が反射して、波一つない鏡のような美しい湖です。

しかし、最優秀作品に選ばれたのは、もう一つの方でした。そして多くの人がその受賞に驚いたのです。なぜなら、それは、嵐にさらされる岸壁の絵でした。暗雲立ち込める暗い空、天を切り裂く稲妻、海岸の岸壁に打ち付ける荒波。一見すると「平安」とはほど遠い作風です。しかし良く見ると、岸壁の中ほどの小さなくぼみに、鳥の巣が設けられていて、雛を抱えて嵐をやり過ごす母鳥の姿がありました。鳥たちにとって、そこは確かに最も安全な場所です。この絵には「嵐のただ中にある平安」という題が付けられていました。

さて、私たちの人生はどのようなものでしょうか? 聖書には次のようにあります。

「私たちの齢は七十年。
健やかであっても八十年。
そのほとんどは労苦とわざわいです。」(詩篇90篇10節)

「人の目にはまっすぐに見えるが、
その終わりが死となる道がある。」(箴言14章12節)

「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている…」(ヘブル人への手紙9章27節)

労苦とわざわい、死とさばき…私たちの人生は、まさに嵐の中を通っていくようなものです。ですから、私たちに必要な平安は、単なる穏やかさではなく、嵐のただ中にあっても、安心していられるものでなければならないのです。

では、どうすればこの「平安」を手に入れることができるのでしょうか? それは神の与えてくださる救いを受け入れることです。イエス・キリストを救い主として信じ受け入れてまことの神に立ち返り、神から罪の赦しと永遠のいのちを得ることです。

この世界も、私たち人間も、創造主である神によって造られました。しかも人間は「神の愛の対象」という尊い目的で造られたのです。しかし、最初の人間であるアダムが神の警告に逆らって罪を犯したため、その子孫である私たちも神に逆らう性質(=罪)を持って生きる者となりました。そのため、神への感謝もなく、人間が勝手に作り出した偽物の神に目先の望みを願い、うそ、怒り、争い、快楽、暴力など多くの悪を行って生きています。

それでも、労苦は絶えず、しかも死ぬ時にはこの世で得た全てのものを手放して死ななければなりません。 そして死後には、きよく正しい神から、 自分が犯した全ての罪に対する刑罰を受けて、地獄で永遠に苦しみ続けなければならないのです。 これが、私たちの人生が嵐のようになってしまった原因と結果です。

神は、このような人間を、その罪深さ以上の深い愛で愛してくださり、救いを与えてくださいました。最愛の御子イエス・キリストをこの世に遣わされたのです。

イエス ・ キリストは、皆さまのすべての罪を背負って十字架にかかり、皆さまが受けるべき罪の刑罰を身代わりに受けて死んで下さいました。そして、死後三日目には死を打ち破ってよみがえられたのです。

ですから誰でもイエス・キリストを信じるなら、罪がすべて赦されて、死後の刑罰から救われます。死後、地獄ではなく永遠の天国に行くことができるのです。この救いが与えられたなら、死の恐怖に打ち勝つ平安を持つことができます。さらに、神に立ち返ったことによって、神の御守りの内に歩むという揺るがない平安を持って生きることができるのです。

ぜひ、皆さまもイエス・キリストを信じて神に立ち返られ、救いに与り、人生の嵐の中でも揺るがない本当の平安を得てください。

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