死の備え(2017年秋号)
愚かな金持ち
「ある金持ちの畑が豊作であった。そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。『たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。』しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』」(ルカ12:16〜20)
これは、イエス・キリストが語られたたとえ話です。あなたは、このたとえ話に出て来る金持ちについてどのような感想をもたれるでしょうか。この金持ちは、一見すると非常に賢い人のように思えます。なぜなら、彼は、その年に得た豊かな穀物や財産を、将来に備えてしっかりとたくわえようとする計画性のある人であるからです。その上、今ある倉では作物をしまいきれないという問題点に気づく冷静さと、すぐに解決策を立てる機転と決断力がありました。その結果、この金持ちは、これから先何年も安心して暮らしていけるほどの財産を手にしたのです。多くの人は、彼のような人を「賢い人」、「人生の成功者」と思われるに違いありません。しかし、神はこの金持ちを「愚か者」と呼んで責められたのです。
それでは、この金持ちのどこが愚かであったのでしょうか。それは、彼が数年先の将来には備えていても、自分のたましいの行き先のためには全く備えていなかったところなのです。彼は、自分の死について全く考えておらず、これから先何年も人生は残っていると思い込んでいたのです。しかし、彼のたましいは、何とその夜の内に取り去られてしまったのです。彼が蓄えた財産は、もはや彼にとって何の意味も持たなくなってしまいました。
イエス・キリストは、このたとえ話を通して「人生の目先の問題よりも、いつ訪れるか分からない死に備えるように」とすべての人に警告しておられるのです。
死と死後のさばき
あなたは、これまで死という問題と向き合ってこられたでしょうか。多くの人は「死はまだまだ先の話。それよりも今日明日の心配をしなければ。」と考えています。しかし、それは愚かな金持ちと同じ過ちです。死は、すべての人に確実にやってくる現実の問題です。そして、死は予告なしにある日突然、あなたを襲うのです。
死は、あなたからすべてを奪います。最愛の家族も蓄えてきた財産も積み上げてきた名誉も一瞬にして失うことになります。さらに、神のことばである聖書は「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(へブル9:27)と警告しています。人間は死んで終わりではありません。肉体は土に帰りますが、たましいは永遠に存在し続けます。そして、たましいは神のもとに帰り、生前の行いに対する報いを受けることになるのです。
神は人間について次のように語っておられます。「義人はいない。ひとりもいない。」(ローマ3:10)人間は、造り主なる神を無視し、自分の罪深い欲望に従って生活しています。聖なる神の御前にはすべての人が罪人であり、あなたもその一人なのです。
ですから、あなたも死を迎えるならば、必ず神から罪に対する刑罰を受けることになるのです。その刑罰とは「悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火」(マタイ25:41)に投げ込まれるという恐ろしい刑罰なのです。神を拒む人生の結末は、滅びです。その結末は、ある日突然、あなたに訪れるのです。ですから、今、来るべき死に備えてください。なぜなら、神が備えられた素晴らしい救いがあるからです。
さばきからの救い
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)
神は、あなたを心から愛しておられるので、あなたのために救いを備えてくださいました。それは、イエス・キリストの十字架の死です。神は、約2,000年前にキリストを処女マリヤの胎を通してこの世にお遣わしになりました。そして、生涯の最期に十字架に架けてくださいました。それは、全人類の罪をキリストに負わせ、身代わりにさばくためであったのです。本来、あなた自身に下るはずであった罪の刑罰を、神はキリストに下してくださったのです。神にとってキリストは最愛のひとり子です。しかし、あなたを救うために犠牲にしてくださったのです。そして、十字架上で死なれたキリストを、死後3日目によみがえらせることによって、キリストこそ真の神であり救い主であることをはっきりと示してくださいました。復活されたキリストを唯一の神・救い主として信じる者に、神は罪の赦しと永遠のいのちを与えてくださいます。罪の赦しを受けた者は、死後、火の池ではなく、天国へ入れられるのです。キリストを信じて罪の赦しを得ることが、死の備えなのです。
あなたは、もし今夜たましいが取り去られても大丈夫でしょうか。キリストを拒んで死を迎えたならば、罪のさばきが待っています。今あなたが抱えている人生の悩みや夢中になっていることは、この問題よりも重要でしょうか。火の池に投げ込まれたならば、永遠の苦しみが始まります。どれだけ泣き叫んで求めても救いの機会はありません。火の池に投げ込まれてからでは遅いのです。ですから、どうか、今、救いの機会がある内にキリストを信じて、たましいの救いを得てください。