イエス・キリスト-あなたを救うために来られた御方-(2025年クリスマス号)
「世界中で祝われるクリスマス」
クリスマスが近づいて来ました。クリスマスになりますと、多くの商店街やデパート、日本の至る所で飾り付けがなされ、盛大に祝われます。日本だけでなく、世界の多くの国々でも同じです。これほど多くの人々によって祝われているクリスマスには、どのような意味があるのでしょうか。クリスマスは、もともと今から2,000年前にユダヤのベツレヘムでお生まれになったイエス・キリストの誕生をお祝いする日なのです。では、この御方はどのような方なのでしょうか。
この御方について最も有名なのは公生涯の最後に十字架刑に処せられて死なれたことです。十字架刑というのは、当時の極悪犯のために用意された最も厳しい死刑でした。ところがイエス様には裁かれるような罪も悪も何もなかったのです。それでも十字架にかかってくださったのには、大きな理由があったのです。聖書には次のように書かれています。
「キリストも一度、罪のために苦しみを受けられました。正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたのです。」第一ペテロ 3章18節
イエス様は、「罪人」の身代わりとなるために十字架にかかってくださったのです。この罪人というのは世間一般に言われている犯罪人のことだけを意味しているのではありません。この新聞を読んでおられる「あなた」自身のことをも指しているのです。あなたは、自分が罪人であるはずがない、犯罪をおかしたことも無いと思われるかもしれません。しかし例え日本の法律に触れるような犯罪をおかしたことが無いとしても、創造主なる神様の目から見るならば、あなたも罪人であるのです。
「人はどうして神の前に正しくありえようか。女から生まれた者が、どうしてきよくありえようか。」 ヨブ記 25章4節
「義人はいない。一人もいない」ローマ書 3章10節
創造主は実在されます。最初の人間であるアダムとエバは神様によって造られました。この御方は、私たちの日常の全てを見ておられます。心の中もご存じです。殺人、強盗、強姦、詐欺などはもちろんのこと、馬鹿者と言って人を罵ることや、色情を抱いて女性を見ること、嘘をつくことなども全て神様の目には憎むべき罪であると聖書が語っています。神様は義なる聖なる御方ですから、全ての罪に対して激しく怒っておられます。そして人間の死後には、それらの罪に対する恐ろしい裁きを行おうとしておられるのです。
「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」 ヘブル書 9章27節
罪を裁かれた罪人に待っているのは火の燃える地獄です。そこで永久に苦しみ続けなくてはなりません。なんと恐ろしいことでしょうか。しかし、神様は義なる御方であると同時に愛なる方です。人間が地獄へ行くことを願ってはおられないのです。そこで全人類を救うために、愛する神のひとり子をこの地上に遣わしてくださいました。それがイエス・キリスト様なのです。イエス様は私たち罪人を救うために処女マリヤの胎を通して人となってくださり、この地上に来てくださいました。そして公生涯の最後に、ゴルゴダの丘の上で十字架刑に処せられ、あの十字架の上で全人類の罪をすべて背負って身代わりとなって死んでくださったのです。
イエス様は十字架で死なれただけではありません。死後3日目に歴史上の事実として甦ってくださり、ご自身が真実の救い主であることを明らかにしてくださったのです。今や誰でもイエス様を自分の救い主として信じ受け入れるならば、罪は全て赦されます。地獄ではなく、天国に行く者として頂けるのです。イエス様こそ、私たち罪人を救うためにこの世に来られた救い主であられるのです。このような御方は、歴史上どこを探してもイエス様以外には存在しません。イエス様だけが全ての時代を通じて、誰にでも罪の赦しと永遠の命を与えることがお出来になる救い主なのです。イエス様は単なる宗教家でも道徳家でもありません。私たちを地獄から唯一救うことの出来る救い主です。だからこそ、この方の誕生は祝われているのです。この新聞を読んでくださったあなたにも是非ともお勧めいたします。自分が罪人であることをお認めになって、イエス様をご自分の救い主として信じ受け入れてください。そしてどうかイエス様の与えてくださる素晴らしい救いを受け取る方となってください。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」ヨハネの福音書 3章16節