京都恵みキリスト教会

教会新聞

なぜ神は悲劇を見過ごすのか?(2019年秋号)

恵みによって なぜ神は悲劇を見過ごすのか?

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愛の神と悲劇は共存できない?

「神も仏もない!」

この世の悲惨な出来事を目の当たりにしたときに、多くの人はそう言います。明らかにこの世には、戦争、病気、災害、凶悪犯罪があり、多くの被害者が今も耐え難い苦しみを抱えて生きておられます。「神がすべてを知っていて、何でもできるのなら、どうして未然に防がないのか。神が愛なら、苦境の時こそ人を救うべきではないのか。」無神論を唱える人たちは、このように悲劇の存在を、神を否定する根拠にします。

では、「愛の神」と「悲劇」は共存し得ないのでしょうか。

悲劇の原因

この世の悲劇を神の責任にする前に、あらゆる悲劇の原因をきちんと辿るべきです。戦争や凶悪犯罪は人間の醜い欲望が生み出したものですし、災害や病気は地球環境を身勝手に破壊している人類が増長させています。すなわち、悲劇の原因は人間の罪なのです。

聖書には次のように書かれてあります。「ちょうど一人の人(最初の人アダム)によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がった」(ローマ5:12)

神がこの世界を創造されたとき、戦争も犯罪も病気も死もなく、「それは非常に良かった。」(創世記1:31)のでした。人間は非常に良い世界で永遠に生きることもできたのです。ところが、アダムが神に逆らって罪を犯したがために、完全な世界が破壊されたのです。人間に罪が入り、この世は悪の世界となりました。また、罪の報いとして病気や死がもたらされ、ノアの時代の大洪水以降には地球環境は劇的に悪化しました。すなわち、現在のあらゆる悲劇をもたらしたのは、私たち人間の罪なのです。言い換えれば、神と共に楽園で生きることよりも、神に逆らって現在のような世界で生きることを、人間は選んでしまったのです。ですから、悲劇が起こったときに、神の責任にしたり、神を悪く言ったり、否定したりするのは責任転嫁に他なりません。

悲劇の許容の理由

「悲劇の原因が人間の罪であるにしても、神が人間を本当に愛しているのならば、やはり悲劇から救うはずではないでしょうか。なぜ愛の神は、苦しむ人間を黙って見ていられるのでしょうか。」このように反論される方があるかもしれません。

しかし、「苦難が幸福をもたらすことがある」ということを見落としてはならないのです。例えば、親は子どもに予防接種を受けさせますが、それは子どもを重病から守るためです。子どもにとって注射は恐怖です。注射針を刺され、痛みに泣いているのに、親は黙って見ています。親は子どもの命を守るためにそうしますが、小さな子どもにはそれが理解できず、親の愛を疑うかもしれません。それと同様のことが、神と人間との関係にも言えるのです。神は、人間にとっての「本当の悲劇」から救うために、苦難を許されることがあるのです。

本当の悲劇

では、人間にとっての本当の悲劇とは何でしょうか。病苦、死別、貧困など様々な苦難の中で行き詰っておられる方にとって、これ以上の悲劇はないと思われるかもしれません。しかし、聖書にはもっと恐ろしい悲劇について記されています。それは、永遠の地獄です。

「のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火に入れ。」(マタイ25:41)

「そこでは、彼らを食ううじは、尽きることがなく、火は消えることがありません。」(マルコ9:48)

「そして、彼らの苦しみの煙は、永遠にまでも立ち上る。……昼も夜も休みを得ない。」(黙示録14:11)

 聖書は、地獄の存在を繰り返し語っています。地獄は死後の刑罰の場所です。神を拒絶し、自分の欲望に従って罪を犯してきた人は、死後に、永遠に消えない火で焼かれ続けるのです。地獄の中でどれだけ泣き叫んでも、二度と出てくることはできません。これこそが本当の悲劇です。あなたにも罪があるのなら、必ずさばかれます。今あなたは刻一刻と永遠の火に向かっているのです。

悲劇から救う愛の神

そこで愛の神は、人間を地獄から救うための救いを備えてくだいました。それがキリストの十字架と復活です。紀元30年に、神はひとり子イエス・キリストを十字架にかけてくださいました。それは、全人類の身代わりとしてさばくためであったのです。キリストは、全人類の罪を背負い、身代わりに罪の刑罰を受けて死んでくださいました。そして、死後墓に葬られた後、3日目に復活され、ご自分が神であり救い主であることを示してくださいました。この身代わりの死のゆえに、今やどんな罪人もキリストを信じる信仰によって地獄から救われるのです。そして、死も悲しみも苦しみもない天国で永遠に生きることができるのです。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

神は、永遠の幸福を与えるために、一時の苦難を許されるのです。苦難を通して、人は死について、人生について、罪について考えるきっかけが与えられ、真理を求めるようにされます。その結果、キリストを見出し、これまで多くの方がイエス・キリストを信じて救われてきました。どうかあなたもこの機会に、ぜひ死後の行き先についてお考えになり、イエス・キリストを信じて救いを得てください。

「苦しみにあったことは私にとって幸せでした。それにより私はあなたのおきてを学びました。」(詩篇119:71)

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