教会新聞

チューリップの不思議(2025年春号)

恵みによって チューリップの不思議

今年は数年ぶりの寒波で大雪も続きましたが、ようやく落ち着き、暖かい日がやってくるようになりました。春になれば美しい花々が次々と咲いていきます。例えばチューリップは、色鮮やかで、美しい花として有名です。しかしこの花はただ美しいだけではありません。開花するための驚くべき仕組みが備わった花なのです。

チューリップの球根は、まだ寒い冬のうちに植えられるのですが、春が近づき18℃程度の温度に上がることで開花が促進され、球根内部で花芽が形成され、その後一斉に花を咲かせはじめます。

チューリップには温度センサーなど何もついてはいないはずですが、地表の温度変化を確実に感じ取ることができるのです。過酷な自然環境の中にあっても、最適な成長と開花のタイミングを見計らうための高度なメカニズムは驚くべきものです。

私たちは温度を計測する精密機器などを見るときに、それらが偶然に生まれたと考えることはありません。複雑な仕組みが備わった機器の存在は、当然それを作った設計者が存在することを物語っています。では、チューリップにはどうして見事なメカニズムが存在しているのでしょうか?それは造り主がそれらの仕組みを全てお造りになったからなのです。聖書は神様がそれらを造られたと教えています。偶然に発生したのではないのです。

「神は仰せられた。『地は植物を、種のできる草や、種の入った実を結ぶ果樹を、種類ごとに地の上に芽生えさせよ。』すると、そのようになった。」創世記 1章11節

神様は決して空想の存在ではありません。実在される御方なのです。全ての虫、魚、動物、人間も神様が造られました。私たちが生きるために必要な空気、水、食料、地球の環境全ても神様が造ってくださったのです。しかし、多くの人間は、創造主を無視して生きています。人間が手で造った木や石の像を拝み、人間の都合に合う神を敬っているのです。聖書はそれを偶像礼拝と呼んでおり、それは神様に対する大きな罪なのです。

「偶像を造る者はみな、空しい。彼らが慕うものは何の役にも立たない。」イザヤ書 44章9節

「天を創造した方、すなわち神、地を形造り、これを仕上げた方、これを堅く立てた方、これを茫漠としたものとして創造せず、住む所として形造った方、まことに、この主が言われる。『わたしは主。ほかにはいない。』」イザヤ書 45章18節

神様は、人間の嘘、喧嘩、盗み、不道徳を全て見ておられます。義なる神様は全ての罪人に裁きを用意しておられるのです。それは人間の死後にやってきます。

「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」ヘブル人への手紙 9章27節

人間は死んで終わりなのではなく、神様の前に立たせられて、生きてきた間に犯してきた全ての罪に対する裁きを受けなくてはなりません。有罪判決を受けた罪人に待ち受けるのは、永遠の炎が燃える地獄で永遠に苦しむ刑罰なのです。聖い神様は、これほどの厳しい裁きを下すほどに罪を怒っておられるのです。

しかし神様は、人間が地獄で苦しむことを決して望んではおられません。そこで、神様は全ての人間を救うため、神の御子イエスキリストを救い主としてこの世に遣わしてくださいました。イエス様は私たちと同じ人間としてこの地上を歩んでくださいました。そして公の生涯の最後に十字架にかかってくださり、十字架の上で全人類の罪を全て背負ってくださり、身代わりとなって死んでくださったのです。そして死なれた後、墓に葬られましたが、三日目の日曜日の朝に死の力を打ち破ってよみがえられたのです。イエス様の復活は、伝説でも作り話でもありません。歴史上の事実であり、そのことは多くの証拠によって確認されているのです。聖書は、自分の罪を認め、罪を悔い改めて神様に立ち返り、イエス様を自分の救い主と信じる者は、誰であっても全ての罪が赦されると約束しています。そして永遠の命が与えられ、地獄ではなく天国において永遠に生きる者とされるのです。

「御子を信じる者はさばかれない。」ヨハネの福音書 3章18節

「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる」ローマ書 10章9節 

冒頭でもご説明したように、私たちは自然界の多くの動植物を通して神様のご存在と偉大さを知ることができます。しかし、それ以上に「聖書」を通して、神様がどれほどすばらしい救いを用意してくださったのかを知ることができるのです。

このチラシをお読みになった皆様も、どうかまことの神様についてお考えください。そしてイエス様をご自分の救い主として信じ、受け入れる方となってくださいますように心から願っております。

「聖書はこう言っています。『この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。』」ローマ書 10章11節

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