神の作品(2020年冬号)
「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。神は彼らを祝福された。」(創世記1:27,28)
神に創造された人間
人間は神の作品である、と聖書は教えています。その一方で、人間は偶然の産物である、と主張する人もいます。あなたはどちらが真実であると思われますか。
人間の体を詳しく調べると、その優れた性能や複雑な仕組みに驚かされます。人間の目は、約七グラムの感覚器です。この小さな球の中に、入って来る光の量を調節する虹彩、ピントを合わせる毛様体、光の明るさや色合いを感じ取る網膜など、ものを見るための仕組みがすべて整っています。どれか一つでも欠けていれば、たとえば角膜が透明でなければ、他がどれほど整っていても見ることはできません。
人間の耳は、音を聞くために見事な設計がされています。鼓膜でキャッチされた音の振動が耳小骨に伝わり、蝸牛と呼ばれるカタツムリのような螺旋構造をしたトンネルに送られます。蝸牛で音の振動を電気信号に変換して脳に送られるのですが、この際にトンネルの入り口と出口が隣接しているので、行きの音と帰りの音が重なると音が判らなくなってしまいます。しかし、帰りの出口には第二鼓膜があって、そこで振動が吸収されるので音が重ならない設計になっています。
目も耳も驚くような仕組みと設計がされていますが、それだけでは機能しません。脳が送られた電気信号を理解してはじめて「見えた」、「聞こえた」となります。人間の脳については解明されていないことが多く、まだまだ未知の領域です。人工知能が凄まじい勢いで進歩していますが、「連想、空想、閃き、創造」といったことは人間の脳にしかできない優れた能力です。
こんなに良くできた人間が偶然の産物であるとするには、相当の信仰が要求されるのではないでしょうか。美しい絵画を見れば、それを描いた作者の存在を認めるように、また見事な建造物を見れば、それを建てた建築家の存在を認めるように、人間を見れば、創造主なる神の存在を認めることができます。
神に背いた人間
神は、人間を愛と祝福の対象として創造されました。ところが、人間は神から離れてしまいました。現在、多くの人は神の存在を認めない無神論や、多くの神々の存在を主張する多神論、世界を神と同一視する汎神論などに立ち、人格を持たれた唯一の神を否定しています。そのように人間が創造主なる神を無視するのは、自分の欲望に従って好き勝手な人生を送っていたいからなのです。言い換えれば、神に支配されたくないからなのです。
「私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。」(イザヤ53:6)
その結果、神を恐れなくなった人間は絶対的な善悪の基準を失い、世の中はますます乱れてしまっています。性交渉の低年齢化、同性愛の容認・推進など、欲望のままに不自然で恥ずかしいことが平気で行われています。嘘をついても、人の陰口をたたいても、「嘘も方便」、「単なるストレス解消」と言い訳して、罪悪感さえ失っています。
滅びに向かっている人間
神は正しい方ですから、人間の罪を必ずさばかれます。そのさばきは死後に執行されます。
「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル9:27)
今さばきがないことは、「神は存在しない」、「神はさばかない」ということを意味しません。これまで神はずっと忍耐してこられたのです。しかし、神の忍耐は永遠に続くものではありません。もしあなたが神を拒んだまま死を迎えるならば、積み重ねてきた罪に対する刑罰を死後に受けることになるのです。その刑罰とは、火の池に投げ込まれて、永遠に焼かれるという絶望的な苦しみです。
「死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。……いのちの書に記されていない者はみな、火の池に投げ込まれた。」(黙示録20:12,15)
救済される神
しかし、神は正しい方であると同時に、愛なる方です。罪を激しく憎んでおられますが、罪人を心から愛しておられます。ですから神は、あなたが地獄で滅びることを決して望んではおられないのです。
けれども、罪人の罪を処罰することなしに救うことは、正しい神にはおできになりません。そこで神は、あなたの身代わりになってさばきを受ける救い主を遣わしてくださいました。その方こそ、イエス・キリストです。イエス・キリストは、あなたのすべての罪を背負い、十字架につけられてくださり、あなたの身代わりにさばかれてくださいました。
「キリストも一度、罪のために苦しみを受けられました。正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたのです。」(第一ペテロ3:18)
そして、死後三日目に復活され、その姿を五百人以上の弟子たちに現すことによって、ご自分が真の神であり、救い主であることを証明してくださいました。誰でもこの方を「私の神、私の救い主」として信じ受け入れるなら、すべての罪を赦していただくことができます。そして、死後には地獄ではなく、永遠の天国に入れていただけるのです。
どうか、あなたの創造主なる神に立ち返り、イエス・キリストを信じる方となってください。神に代わって、心からお願いいたします。