いかなる困難にも 耐えうるもの(2024年秋号)
変わりゆく不安定な世の中で
昨年から続くさまざまな物価の高騰、円安問題、多発してきている地震、戦争有事の問題など、これらは多くの人を不安にさせています。今まで当たり前だと思っていた私たちの日常生活は、確実に変わってきているのです。では、それらの心配ごとの先にある一番大きな問題とは何でしょうか。それは「死」という問題なのです。
ずっと変わらない素敵な家族、親しい友達がいても、安定した収入があっても、頑丈で立派な家に住んでいたとしても、死は大水の濁流のようにその人から全てを奪い去っていくのです。この問題の解決は果たして存在するのでしょうか?
聖書には次のように書かれています。
「わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。」 マタイの福音書7章24、25節
聖書は、主イエス様のことばを聞いてそれを行う者は、岩の上に土台が据えられた家を建てた人のようで、その家は洪水にも耐えうると語っています。それは人生に襲いかかる全ての試練、特に死という激流にも耐えるものなのです。聖書が語る大切な救いについて、今からお伝え致します。
①神様のご存在について
まず聖書は、この世界を造られた神様の存在について明確に教えています。どんな作品にもデザインや仕組みがあります。それらは何ひとつ偶然に生まれることはありません。地球上の全ての生き物や自然には、人の知恵では作り出すことの出来ない見事なデザインや緻密な仕組みが備わっています。それらは天地の主である神様が創造されたのです。
「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手で造られた宮にお住みにはなりません。」 使徒の働き17章24節
②人間の罪について
しかし、残念ながら多くの人は創造主を無視しています。むしろ人が造った木や石の偶像を作り、それを神社仏閣に安置して拝んでいます。そこに神様は住んではおられません。偶像礼拝は神様に対する罪です。他にも喧嘩、嘘、争い、不道徳、盗みなど多くの罪を人は犯しています。
「義人はいない。一人もいない。悟る者はいない。神を求める者はいない。すべての者が離れて行き、だれもかれも無用の者となった。善を行う者はいない。だれ一人いない。」 ローマ書3章10〜12節
③罪の刑罰としての裁きについて
神様は聖く義なる御方です。罪を裁く御方です。全ての罪は、その人が死んだ後に裁かれます。裁かれた者に待ち受けているのは、永遠の火が燃える地獄なのです。全ての人にとって死が大きな問題である理由がここにあるのです。
「死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。」 黙示録20章12節
④救いについて
しかし神様は皆さんが地獄で滅びることを決して願っておられません。罪を裁かれる義なる神様は、同時に人類を愛しておられます。その大きな愛の故に、ひとり子をこの世に送って下さいました。それが救い主イエス・キリスト様なのです。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」 ヨハネの福音書3章16節
イエス様は、公生涯の最後に十字架刑にかけられました。それは全ての人の罪を背負われて、私たちが受けるべきであった罪の刑罰を身代わりに受ける為であったのです。この御方は皆さまの身代わりとなって死んで下さったのです。そして死後3日目によみがえられたのです。誰であっても罪を悔い改めて神様に立ち返り、イエス様を自分の救い主と信じるならば、全ての罪が赦されて永遠のいのちが与えられます。神の子どもとされて、地獄ではなくて天国に行く者とされるのです。
「御子を信じる者は永遠のいのちを持つ」 ヨハネの福音書3章36節
「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」 ヨハネの福音書1章12節
イエス様を信じた者にとっては、もはや死は恐怖ではなくなります。むしろ天国を希望として生きる者とされるのです。これから先どれだけ世界情勢が変わろうとも、そして皆さんを取り巻くあらゆる状況が変わろうとも、イエス様は変わることがありません。不動の巌として皆様に永遠の救いを与えて下さいます。このチラシをお読みになった皆様も、どうかご自分の死後の行き先について真剣にお考え下さい。そしてまことの救い主イエス様を信じる方となって下さい。