いかなる困難にも 耐えうるもの(2024年秋号)
ずっと変わらない素敵な家族、親しい友達がいても、安定した収入があっても、頑丈で立派な家に住んでいたとしても、「死」は大水の濁流のようにその人から全てを奪い去っていきます。この問題の解決は果たして存在するのでしょうか?
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ずっと変わらない素敵な家族、親しい友達がいても、安定した収入があっても、頑丈で立派な家に住んでいたとしても、「死」は大水の濁流のようにその人から全てを奪い去っていきます。この問題の解決は果たして存在するのでしょうか?
今から約2,000年前に、イエス・キリストは十字架刑に処せられて死なれました。では、その後に何が起こったか、あなたはご存じでしょうか?
1954年9月26日に沈没した洞爺丸に、2人の宣教師が乗船していました。だれもが死の恐怖に襲われ絶望する中、2人は泣き叫ぶ乗客を励まし、救命胴衣を着用するのを助けました。最後に救命胴衣の足りないことがわかると、自分たちの救命胴衣まで若者と子どもに与えてしまいました。
あなたは自分が何のために生きているのか、その答えを持っておられますか。多くの方は、存在意義を見出せていないのではないでしょうか。なぜ自分の体の各器官については「目は見るため」「耳は聞くため」「鼻は嗅ぐため」と存在意義を即答できるのに、それらでできている自分自身については答えられないのでしょうか。
近年、LGBTの尊重が世界的に加速しています。性の多様性を「個性の違い」と理解し、お互いに認め合い、尊重し合うべきだという考え方になってきています。当然のことながら、LGBTを理由に人権侵害や迫害をすることは間違っています。しかし、同性愛を認め、推進することは、果たして道徳的に正しいことなのでしょうか。
「この科学の時代に神を信仰するなんてあり得ない。宇宙の成り立ちについて、科学がはっきりと説明しているのだから、もはや『神が宇宙を造った』なんていう考えは時代遅れだ。」
実に多くの人がこのように考えています。果たして、本当に信仰と科学は対立しているのでしょうか。また、科学は神の存在を否定しているのでしょうか。
1946年の正月、東村泰男氏(仮名)は敗戦後間もなく国に帰ることができ、故郷の実家で両親の元気な顔を見ながら元旦を迎えることができたことを非常に喜んでいました。彼が所属していた部隊がいた場所が、たまたま中国の海岸近くの町であったので、すぐに帰還が許されたのでした。しかも健康で日本に復員できたことは非常に幸運でした。(小冊子「イワノフの悪夢」からの抜粋)
紀元前6世紀頃、中東全域を支配していたのは新バビロニア帝国でした。栄華を極めたバビロニア帝国でしたが、紀元前539年に、ペルシアの王キュロス二世の率いるメディア・ペルシア軍に侵入され、あっけなく没落してしまいました。これは、権力闘争の結果や単なる事の成り行きではなく、あらかじめ神によって計画されていたことであり、そのとおりに神がなさったことなのです。
秦の始皇帝は絶大な権力を手に入れ、名声を欲しいままにしてきましたが、最後まで恐れたものがありました。それは死です。不老不死の薬を求めて部下たちに無理難題を押し付けたと言われていますが、死の恐怖からは解放されませんでした。果たして、死の恐怖からの解放はあるのでしょうか。