人は死後、どこへ行くのか?(その1)
2015年2月23日
※京都恵みキリスト教会 教会通信第2号より転載
私たちの人生の最後には死があります。死は人生の最大の不幸と思われています。人々は死について語ることを避け、死から顔を背けています。けれども私たちは日々、確実に死に近づいています。しかも、死はいつ私たちの前にやって来るか分かりません。ですから私たちは、今から死の問題を真剣に考えておかなければなりません。
死に対処する方法は2種類あります。ひとつは、人は死んだら無になる、死後の世界などはない、と言って片づける方法です。もうひとつは死についての明確な解決を真剣に探す方法です。
人が死ぬと無になるというためには、人には魂がないと証明しなければなりません。またそのためには、人間を創造された神がいないと証明しなければなりません。言い換えると、人間も動物も植物もすべて、偶然にできたと証明しなければなりません。
神がご存在されます
1枚の葉の細胞にも、すばらしい仕組みが隠されています。全ての動物、植物の細胞には、驚くべき組織が仕組まれています。動物の内臓、骨格、筋肉、皮膚、器官のどこを見ても、複雑な設計を見つけることができます。そのような組織、仕組みは決して偶然には発生しません。時計をばらばらに分解して、それを行き当たりばったりに組み立てても、時計にはなりません。秩序あるものはすべて設計されてできたものです。すなわち秩序あるところ、そこには設計者もあるのです。植物、動物の組織の秩序のすばらしさは、それらのものが偶然に、設計者なしにできたのではなく、全知全能なる神という偉大なる設計者がいることを証明しています。ですから人が死ぬと無になるという主張には、全く根拠がないのです。