何のために生きているのか?(その1)
2015年5月7日
※京都恵みキリスト教会 教会通信第4号より転載
あなたの目は見るために、耳は聞くために、口は話したり食べたりするためにあります。しかもそれらは本当にすばらしい仕組みを持っています。では、それらを全部持っているあなたは、いったい何のために生きているのでしょう?病気になっても、人生がつらくなっても、お金がなくなっても、それでも「私はこのために生きている。」という人生の目的をあなたは持っているでしょうか?
人生の目的について考えるために、ひとつ例え話をしましょう。あなたの腕にある時計が、ある日こんな悩みを持ったとしましょう。「僕は何のために動いているのだろう。毎日同じように針を回転させているだけだ。僕が存在する意味など果たしてあるんだろうか。」きっとあなたは、時計に次のように語ってあげることでしょう。「時計君、君は私たち人間に時間を知らせるために、人間によって作られたんだよ。君が毎日正確に時間を刻んでくれることによって、私たちは本当に助かっているんだよ。これからもずっと時を刻んでおくれ。」作られたものは、作り主を知って初めて、自分の存在の目的を知ることができるのです。
さて、「聖書」という、世界でもっとも多くの人に読まれている本があります。神のことばである聖書には、真の神様がご存在され、その神様が、ご自分の愛の対象として私たち人間を造ってくださったと書かれています。
「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」(創世記1章27節)
「わたし(神)の名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。」(イザヤ書43章7節)
(続く)