福音を知らせましょう!
2013年1月21日
『兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。・・・私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。その後、キリストはヤコブに現われ、それから使徒たち全部に現われました。そして、最後に、月足らずで生まれた者と同様な私にも、現われてくださいました。』
(Ⅰコリント15章1節、3節~8節)
神のことばである聖書は、私たち人間に「福音」を語っています。福音とは、「良き知らせ」という意味です。
例えば、病気の人にとって、名医や良薬の存在を聞くことは喜びであり、それはその人にとって福音(良き知らせ)です。また、合格発表を待っている受験生に、合格通知が届いたなら、その人に福音(良き知らせ)が届いたと言えます。けれども、これらは病気の人や受験生にとっては福音(良き知らせ)ですが、それ以外の人には関係ありません。
しかし、聖書が語っている福音は、すべての人が聞かなければならず、すべての人に大切な福音です。その内容は、次の通りです。
1. キリストは私たちの罪のために死なれた
人間は皆、神の御前に罪人です。天地万物を造り、私たち人間を造ってくださった真の神がご存在されるにもかかわらず、人間は神を無視し、神を認めないで生きています。神社・仏閣などの、人間によって作り出された偽の神々には頭を下げる人間が、真の神の御前にひざまずこうとしません。それどころか、人間は神の支配を拒んで、自分勝手に欲望のままに生きています。人間は自分を神としています。これは恐るべき罪であり、真の神への反逆です。神は全宇宙の創造主であり、絶対的主権者です。この神を無視して軽んじる者は、死後、永遠に火の燃える地獄で、義なる神からさばきを受けなければなりません。
しかし、愛なる神は私たちを地獄から救うために、ご自分の御子イエス・キリストを人間にならせてこの世にお遣わしになりました。そして、キリストが私たちの罪のために十字架にかかって死んでくださいました。
2. キリストは死後三日目によみがえられた
イエス・キリストは死後三日目の日曜日の朝、死の力を打ち破ってよみがえられました。そして、よみがえられたキリストは、弟子たちをはじめ多くの者たちに姿を現されました。ある時は、同時に五百人以上の者たちに現れてくださいました。そして、キリストのよみがえりの目撃者がいたことが事実であることは、彼らのその後の生き方が証しています。例えば、目撃者の一人である使徒パウロは、以前、神の教会を迫害する者でした。キリストを信じるクリスチャンを憎み、彼らを苦しめました。しかし、ある時から、パウロは世界中にキリストの十字架の死と復活を宣べ伝える、キリストのしもべとなりました。パウロはキリストのために多くの迫害を受け、殉教したのです。パウロのこの変化は、キリストの復活なしには説明できません。
彼らは事実、よみがえられたキリストを目撃し、キリストが神であり、救い主であることを知り、キリストを信じて永遠のいのちを受けたので、自分のいのちをも惜しまないでキリストに捧げることができたのです。
3. キリストを信じる者は救われる
キリストが私たちの罪のために十字架で死なれ、よみがえられたのですから、キリストを「私の主。私の神。」と信じる者は救われます。その者は、決して地獄に行くことがなく、罪の赦しと永遠のいのちを得て、天国に行くことができます。
多くの者は、努力や行いによって救いを得ようとします。しかし、それらは神の前に無価値です。人間が努力すれば神の義の基準に達することができると考えるのは、大きな間違いです。私たちは、素直に自分の罪を認め、神に対して悔い改め、キリストを心から信じるときに救われるのです。行いによるのではなく、信仰によるのです。
これが聖書が語っている福音(良き知らせ)です。すべての人に必要な福音です。どうか、あなたもキリストを信じて、天国に行く方となってください。