真の利益
2013年11月21日
「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」 マタイの福音書16章26節
人は誰でも、できるならば何事でも得をしたいと考えます。商売人であるならば、品物をできるだけ安く仕入れて、できるだけ高く売りたいと考えるでしょうし、主婦であるならば、より良い商品をより安く購入したいと考えるでしょう。では、利益を受けるために最も必要な事とは何でしょうか。それは、本当に価値のある物を見極める事です。
人はそれぞれに違った価値観を持っており、自分にとって価値があると思う物のために金と時間を費やします。中には、ガラクタに価値を見いだしたがために、人生をガラクタ集めに費やしてしまう人もあります。ですから、本当に価値ある物が何であるかを正しく見極めなければなりません。
では、人間にとって本当に価値ある物とは何でしょうか。それは、いのちです。「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。」との教えには、多くの方が同意されるはずです。いのちを失ってしまったならば、手に入れた全ての物を失ってしまうからです。「私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。」(テモテへの手紙第一6章7節)と聖書に書かれてある通りです。いのちは、全世界を手に入れる事以上に価値があるのです。
しかし、不思議な事に多くの人は、金のことや、仕事のことばかり考えて、ご自分のいのちの行く先について考えようとなさいません。それは、いのちを失うことが、どれ程深刻なことであるのかを知らないからなのです。神のことばである聖書は、「人間には、一度死ぬことと、死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル人への手紙9章27節)と語って、死後に罪の刑罰があることを警告しています。義なる神は、人間の罪に対して激しく怒っておられ、永遠に燃える火の池で罪人をおさばきになります。ですから、いのちを損じるということは、単にすべてを失うだけではなく、永遠に取り返しのつかない滅びを身に招く事を意味するのです。
では、神の怒りの下にあるいのちを買い戻すことはできるのでしょうか。人間には、不可能です。たとい、全世界を神に差し出したとしても、神の罪に対する怒りをなだめることはできません。しかし、唯一、私たちのいのちを買い戻す方法があります。それは、十字架に架かって死なれ、よみがえられたイエス・キリストを信じることです。キリストは、神の怒りをなだめるために、十字架の上でご自分の尊い血を神に差し出してくださいました。人類の罪の代価として、ご自身のいのちを支払ってくださったのです。ですから、誰でもキリストを自分の救い主として信じ受け入れるならば、その人はキリストのものとされ、永遠のいのちが与えられ、さばきから救われるのです。
本当の利益とは、永遠のいのちを得ることです。どうか、キリストを信じ、真の利益を受ける方となってください。