いっしょに集まる
2014年8月18日
「約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりいないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」へブル人への手紙10章23〜25節
聖霊は、ヘブル人信者たちに「ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで」と語っておられます。それは「いっしょに集まる」ということが、とても大切なことであるからです。
今日、私たちは、主日に集まって主を礼拝しています。また、平日にも祈りやみことばの学びや奉仕のために集まります。そのように、私たちがいっしょに集まることは、神のみこころであるのです。なぜなら、「しっかりと希望を告白」すべき私たちにとって、この世は戦場であり、苦難の多いところであるからなのです。
私たちがこの世にあって「天こそが唯一の希望である」という信仰をことばや生き方によって大胆に告白し続けるならば、必ず私たちを動揺させるような様々な苦難に会います。それは、この世が、サタンの支配するところであるからです。ヘブル人信者たちも、かつて「光に照らされて後、苦難に会いながら激しい戦いに耐え」(へブル10:32)なければなりませんでした。サタンは、神の栄光の現れを阻止するためならば、希望を告白する者たちを人々の目の前でそしったり、苦しめたり、財産を奪うことさえも厭いません。私たちは、そのような世にあって天に入るその日まで、希望を告白しながら前進して行くのです。これは、極めて困難なことです。ですから、私たちはいっしょに集まって「互いに勧め合って、」「励まし合」う必要があるのです。
私たちにとって、この世は戦場ですが、信者の集まりは神の家です。外で激しい戦いを経験している者にとって、集まりにおける交わりはどれほど大きな慰めと励ましでしょうか。みことばを通して主から受ける励ましや愛する兄弟たちと労苦や喜びを分かち合うことは、言葉にはできない喜びです。私たちは、神の家においていっしょに集まり、互いに励まし合うことによって新たに力と勇気を得ることができ、再び戦場に出て行くことができるのです。もし、信者が集まることをやめるならば、どこにも励ましはなく、いつか必ず動揺させられてしまい、倒されてしまいます。
ですから、私たちは、「いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」