第二の死
2014年2月9日
「おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」 ヨハネの黙示録21章8節
人間にとって、死は極めて現実的で身近な問題です。生まれてきた以上、人はいつか必ず死を迎えます。そして、死はいつ私たちに訪れるのか分かりません。もしかすると、あなたにとって今日が人生最後の日になるかもしれないのです。ですから、今日という日に、死についての確かな答えを知って頂きたいのです。
神のことばである聖書に「たましいを離れたからだが、死んだものである」(ヤコブの手紙2章26節)と書かれてあるように、死とはたましいと肉体の分離です。肉体は地のちりに帰りますが、たましいは神のもとに帰ります。「ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。」(伝道者の書12章7節)すなわち、たましいと霊は、死後にも永遠に存在し続けるのです。
そして、この肉体の死の後に、第二の死があることを聖書は語っています。第二の死とは、神との永遠の分離・隔絶です。すなわち、罪のさばきを受けて火の燃える池に投げ込まれ、永遠に神から捨てられるのです。次のような者が火の池に投げ込まれると聖書は語っています。
「おくびょう者」神を信じるのにおくびょうな者のことです。キリスト信仰を持つと迫害されるのではないかなどと恐れて、キリストを信じなかった者です。
「不信仰の者」真理を理解した上で、それでもなお信じない者です。それは、結局のところ、神を受け入れたくないという不敬虔さの現れなのです。
「憎むべき者」人から忌み嫌われ、憎まれる者は、それ相当の悪を働いたからです。そのような者は、火の池に投げ込まれます。
「人を殺す者・不品行の者」殺人や姦淫を行った人はもちろんのこと、心の中で殺意を抱いた者や情欲の目で異性を見る者も同類の罪です。
「魔術を行う者」占い・霊媒などの魔術に関わることは、悪魔や悪霊との交わりを持つ行為であり、罪です。
「偶像を拝む者」偽の神々を作る、拝むといった行為は、真の神に対する反逆罪です。
「偽りを言う者」嘘つきも永遠の火の池に投げ込まれるに値します。
これらに一つでも当てはまる人は、第二の死を経験しなければなりません。しかし、これらの罪を悔い改めて、イエス・キリストを信じるならば、罪の赦しを受けて天に入ることができるのです。なぜなら、イエス・キリストが私たちの罪を背負って十字架の上で身代わりに刑罰を受けて死んでくださり、三日目によみがえられたからです。どうか、キリストを信じて、死を迎えても永遠の天に入ることのできる方となってください。