むなしさの原因
2016年11月16日
「空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。」 伝道者の書 1章2, 3節
「空(くう)」とは、むなしいという意味です。あなたは、人生にむなしさを覚えられたことはありませんか。「単調な毎日をただ繰り返し、多くの人が辿って来た人生の道を辿り、最期は死を迎える。」そんな人生に何の意味があるのだろうか、なぜ無意味な人生のために労苦しなければならないのかと、多くの方は心のどこかで感じながらも、むなしさを必死にごまかして生きています。
なぜ人はむなしさを覚えるのでしょうか。金銭や仕事や人生のパートナーに恵まれていないからでしょうか。決してそうではありません。もし仮に、この世のものすべてを手に入れたとしても、あなたのむなしさが解消されることはありません。なぜなら、「空の空」と語ったのは、栄華を窮めたソロモン王であるからです。ソロモンは、絶大な権力と富と知恵を持っていました。そして、笑い、快楽、酒、事業、邸宅、園芸、財宝、音楽、女性など、心のおもむくままにあらゆる楽しみを味わってみたのです。しかし、晩年の彼が出した結論は「なんと、すべてがむなしいことよ。」(伝道者の書2:11)でした。その原因は、彼が唯一真の神から離れて生きていたからなのです。
人は、神の愛と祝福の対象として造られました。ですから、神と共に歩む人生にこそ、人間にとっての本当の満足があるのです。神から離れて生きるからこそ、人は自らの価値も人生の意味も見出せず、むなしくなるのです。また、神から離れることの悲劇はそれだけではありません。神から離れることは、神の御前で最も大きな罪であり、さばきに値します。神に背いた罪人は、死後に永遠の火の池に投げ込まれなければならないのです。「神は、善であれ、悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。」(伝道者の書12:14)ですから、人間は一刻も早く神に立ち返らなければなりません。
神は、私たちを、むなしい人生から、そして死後のさばきから救うために、ひとり子イエス・キリストを十字架にかけてくださいました。神は、私たちのすべての罪をキリストに負わせ、私たちの身代わりとしてさばいてくださいました。そして。キリストを死後3日目によみがえらせ、救い主であることの確証を私たちに与えてくださいました。誰でも、罪を悔い改めて、キリストを信じる者は、さばきから救われて、永遠の天国に入る者とされるのです。そして、神と共に歩む幸いな人生を送ることができるのです。どうか、イエス・キリストを、あなたの救い主として、神として信じ受け入れてください。