御霊によって歩み続ける(その4)
2014年10月6日
「それで、私は言います。御霊(の力)によって歩み続けなさい。そうすれば、決して肉の情欲を満足させません。」 ガラテヤ人への手紙5章16節
私たちは、肉から生じるすべてを悪と見なし、さばかなければなりません。なぜなら、邪悪に見えるものも一見良いものに見えるものも、所詮、肉は肉であるからです。神は、肉をどのように見ておられるのでしょうか。私たちは、神が見ておられるように見るべきです。
「肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、またこれらの同類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。こんなことをしている者たちが神の国を相続することは、決してありません。」(ガラテヤ5:19〜21)これが肉です。そして、日常の習慣としてこれら肉の行いに歩んでいる不信者たちは、決して神の国を相続することができません。すなわち、神は肉を完全に拒絶しておられるのです。肉の一切は、神に受け入れられず、神の国にふさわしくありません。そして、これが肉に対する正しい見方なのです。
私たちは、自分の内にある肉をこのようにさばき、肉の力に頼ること、肉を活かそうとすることをやめましょう。そして、肉の働きを不活発にしようと働いておられる御霊に私たちの心と思いを明け渡し続けましょう。それこそ、御霊を受けた私たちにふさわしいことなのです。なぜなら、「キリスト・イエスに属している者たちは、(自分の)肉を、情熱的欲望と性的情欲と共に、十字架につけてしまったのです。」(ガラテヤ5:24)から。「十字架につけてしまった」とは、格言的な言い回しで、肉を十字架につけてしまったと肝に銘じていなさいということです。それは、信者は、肉を十字架につけた経験はありませんが、キリストを信じた時に肉に対立される御霊を心に受け入れたからです。
私たちがキリストを信じた時、御霊は、福音を用いて私たちの心に「あなたが私を受け入れるならば、私はあなたに永遠のいのちを与えましょう。ただし、私はこれからあなたが肉に従って生きることを許しません。私はあなたの肉に対立し続けます。」と語りかけられたはずです。そして、私たちはそれに同意し、御霊を私たちの心に受け入れ、救われたのです。ですから、真の信者は、肉の働きを殺し続けてくださる御霊を受けた者であるゆえに、肉を十字架につけてしまったと肝に銘じておくべきなのです。
このことをわきまえているならば、肉を活かそうとすることが如何に愚かなことであるかが分かるはずです。そんなことをすれば、御霊の働きに抵抗することになり、かつてヤコブがヤボクの渡しで一晩中神と格闘したように、生涯を御霊との格闘に費やすことになります。そしていずれは、もものつがいを打たれることになるのです。そのような無駄な抵抗は直ちにやめるべきです。
私たちは、むしろ、御霊によって歩みましょう。そして、御霊の実を豊かに結ばせて頂こうではありませんか。「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」(ガラテヤ5:22〜23)