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再臨の希望(その2)

パウロは次のように書いています。「けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。」(ピリピ3:20)
「主よ、来てください。」(第一コリント16:22)

ヨハネもまた、「これらのことをあかしする方がこう言われる。『しかり。わたしはすぐに来る。』アーメン。主イエスよ、来てください。」(黙示録22:20)と語って、自分が生きている間に主のご再臨があることを信じて待っていました。

このように新約聖書が記された一世紀においても空中再臨は起こり得たのですから、それから二千年が経過した今は、なおさらのこと主のご再臨は間近に迫っています。主は、今日にも私たちを迎えに来られるかもしれません。これは、何という幸いでしょうか。

そこで、主イエスのご再臨の時に、私たちにもたらされる幸いをみことばから確認してみましょう。

1.先に天に召された兄姉と再会できる
「眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。」(第一テサロニケ4:13)

主イエスの空中再臨の時、まず初めにキリストにある死者がよみがえります。そして、私たちは彼らとともに空中に上げられるのです。すなわち、主イエスのご再臨の時に、先に天に召された兄姉たちと再会することになるのです。これは、何という慰めでしょう。親しく交わり、労苦を共にしてきた愛する兄姉や家族が先に天に召されるということは、喜ばしいことであると同時に、しばらく会えないさびしさを伴います。しかし、私たちは決して悲しみに沈むことはありません。

かつて、アブラハムは、サラの死後、サラのために嘆き、泣きましたが、いつまでも悲しんではいませんでした。「それからアブラハムは、その死者のそばから立ちあがり」(創世記23:3)サラを葬るための墓地をヘテ人たちから買い取りました。アブラハムを死者のそばから立ちあがらせたのは、死者の復活という希望です。サラは、主イエスの地上再臨の時、千年王国において復活させられますが、教会時代の聖徒たちは、主イエスの空中再臨の時に栄光のからだによみがえらされます。復活の時は異なりますが、どちらの復活もすばらしい望みです。私たちは、主イエスのご再臨の時に、愛する兄姉と再会できる希望に慰めを得て、今与えられている使命を果たすために前進することができるのです。

(続く)

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