預言されていた救い主(2021年春号)
「まことに、彼は私たちの病を負い、 私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は私たちの背きのために刺され、 私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、 その打ち傷のゆえに、私たちは癒された。」
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「まことに、彼は私たちの病を負い、 私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は私たちの背きのために刺され、 私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、 その打ち傷のゆえに、私たちは癒された。」
人間は神の作品である、と聖書は教えています。その一方で、人間は偶然の産物である、と主張する人もいます。あなたはどちらが真実であると思われますか。
ヨハネの福音書3章16節は「聖書中の聖書」と言われている有名な一節です。聖書全体を通して語られている救いのメッセージが、この一節に要約されています。この聖書箇所から、神があなたに語っておられる救いのメッセージをお伝えいたします。
悪魔はこの世界に、現実に存在する、人格をもった、神に敵する霊的存在のことです。神と同様、目に見えない存在ですので、その存在を真面目に認めるのは非科学的だと思われるかもしれません。しかし、悪魔は実在します。そのうえ、あなたと密接な関係があるのです。
クリスチャンがイエス・キリストを信じているのは、キリストが歴史上の事実として復活されたからです。キリストが神であるのか、それとも単なる宗教家にすぎないのか、それは復活の事実に懸かっています。キリストの復活は事実なのでしょうか。
「神も仏もない!」この世の悲惨な出来事を目の当たりにしたときに、多くの人はそう言います。「神がすべてを知っていて、何でもできるのなら、どうして未然に防がないのか。神が愛なら、苦境の時こそ人を救うべきではないのか。」無神論を唱える人たちは、このように悲劇の存在を、神を否定する根拠にします。
では、「愛の神」と「悲劇」は共存し得ないのでしょうか。
旧約聖書に「ノアの時代の大洪水」の記述があります。聖書を信じるクリスチャンはこの大洪水を事実であると信じていますが、多くの方は神話に過ぎないと考えています。果たして、どちらが正しいのでしょうか。大洪水が事実であるという証拠はあるのでしょうか。
毎年、12月25日になると世界中でクリスマスが祝われています。クリスマスとは、イエス・キリストのご誕生を祝う記念日として人々が定めた日です。なぜ、キリストのご誕生は世界中の人によって祝われているのでしょうか。それは、キリストが全人類の救い主であるからなのです。
誰しも自分の健康には気を配るものです。体の健康のためには、きちんと医者に診てもらい、その診断結果を受け入れ、治療することが大切です。これは、たましいについても同じことが言えます。あなたを造り、生かしておられる神が、聖書を通してあなたのたましいの健康状態を告げておられます。