人生の勝利者
2014年10月19日
「しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。」 コリント人への手紙第一 15章57節
現在の格差社会を表現する言葉に、「勝ち組」「負け組」という言葉があります。多くの資産を持ち、人々からの信頼も厚く、名声を手に入れた人々を人生の勝者と見なして「勝ち組」と呼び、貧しく、地位もなく、出世の見込みのない労働者などを人生の敗者と見なして「負け組」と呼ぶのです。しかし、本当に、豊かな生活を送っていれば人生の勝者なのでしょうか。また、貧しい生活を送っている者が、人生の敗者なのでしょうか。
聖書の中に次のような実話が書かれてあります。
「ある金持ちがいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。ところが、その門前にラザロという全身おできの貧しい人が寝ていて、金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。さて、この貧しい人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにはラザロが見えた。彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で苦しくてたまりません。』」(ルカ16:19〜24)
ここに登場する金持ちは、生きている間は「勝ち組」であるかのようでした。一方の貧しい人ラザロは「負け組」に見えました。しかし、事実は全く逆であったのです。金持ちは死んでハデスと呼ばれる炎の中に投げ込まれ、ラザロは死後にアブラハムのふところで慰められたのです。
金持ちは、死と死後のさばきについて解決を得ておらず、ラザロは死に対する勝利を得ていました。金持ちは罪の赦しを受け損ね、ラザロは罪の赦しを受けました。その結果、この二人の死後の行き先が全く異なるものとなってしまったのです。この金持ちは、罪に対する刑罰として、永遠に消えない火で焼かれ、今も苦しんでいるのです。そして、これからも永遠に出てくることができないのです。これは、大変厳粛な事実です。
人間にとって本当の勝利とは、生きている間に良いものを受けることではなく、死後の永遠を天国で生きることなのです。あなたは、本当の意味での勝利者でしょうか。神は、あなたに真の勝利を与えるために、救い主イエス・キリストをこの世にお遣わしになりました。あなたの罪を赦し、あなたを永遠の天へと入れるために、キリストを十字架につけてくださったのです。そして、キリストを死後三日目によみがえらせてくださいました。あなたがキリストを信じるならば、あなたに罪の赦しと永遠のいのちが与えられて、「死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。」(黙示録21:4)永遠の天に入る者とされるのです。
たとえあなたに富や地位がなくても、永遠のいのちを受けるならば、あなたは人生の勝利者となるのです。どうか、主イエスを信じてください。