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主に仕える決断

「今、あなたがたは主を恐れ、誠実と真実をもって主に仕えなさい。あなたがたの先祖たちが川の向こう、およびエジプトで仕えた神々を除き去り、主に仕えなさい。」 ヨシュア記24章14節

ヨシュアは、イスラエルの民をそれぞれ自分の相続地に送り出す前に、民への最後のメッセージとして、「偶像を除き去り、主に仕えなさい。」と強く語りました。驚くべきことに、イスラエルの民は、主なる神によってエジプトから贖われた時も、四十年の荒野の旅程を守られていた時も、カナンの先住民をその手に渡されていた時も、ずっと偶像を持ち続けていたのです。一方で主による守りを受けながら、もう一方では偶像を頼りとしていたのです。なんと人の心とは愚かでしょうか。このことは、如何に人の心が、偶像に執着する傾向にあるのかということを物語っています。

この点で、私たちは、自分自身について考えなければなりません。私たちは、主イエスの十字架の御業によって贖われ、永遠のさばきからの救い、悪魔の支配からの救いを受けたのではないでしょうか。天に至るまでの地上の人生を、今主によって守られているのではないでしょうか。それなのに、私たちの手に偶像がしっかりと握られているということはないでしょうか。木や石で造られた像を拝むことだけが偶像礼拝ではありません。主イエスの他に何かを愛すること、主イエスをお喜ばせすることの他に何かを追求すること「その貪欲が偶像礼拝であるのです。」(コロサイ3:5)

私たちの主は二心を決してお許しにはなりません。主は私たちを愛しておられるので、私たちが主以外のものに心を向けると激しいねたみを起こされます。主は、私たちが偶像に仕えるのか、それとも主に仕えるのかのはっきりとした答えを求めておられるのです。

「あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか。もし、主が神であれば、それに従い、もし、バアルが神であれば、それに従え。」(第一列王記18:21)

この問題を曖昧にしておかないでください。中途半端な態度こそ、主が最も忌み嫌われるのです。
「わたしは、おまいの行いを知っている。お前は、冷たくもなく、熱くもない。わたしは、お前が冷たいか、熱いかのどちらかであって欲しいのだ。このように、お前が生ぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしはお前をわたしの口から(今)吐き出そうとしている。」(ヨハネの黙示録3:15〜16)

ヨシュアは、印象的なことばで民に選択を迫りました。「もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないのなら、川の向こうにいたあたながたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。」(ヨシュア記24:15)このことばは、今日、聖霊が私たちの心に語りかけておられることばです。

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