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無知の時代

「そのように私たちは神の子孫ですから、神を人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません。神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。」 使徒の働き 17章29〜30節

冒頭の聖書の引用は、キリストの使徒パウロが、アテネ人たちに語ったメッセージの一部です。パウロはアテネの人々に対して、彼らが今まで「無知の時代」を過ごして来たのだと語り、悔い改めを迫りました。自分たちを知識人であると考えていたアテネ人にとって、このことばは、痛烈なメッセージであったことでしょう。

今日、科学や医療は目覚ましい進歩を遂げ、人々は二千年前とは比べ物にならない程に多くの知識を得ました。しかし、それでもなお聖書は、人々が無知であると語っているのです。この無知というのは、神についての無知ということです。二千年前のアテネ人たちも、現代の日本人も、その知性を用いて、思いつく限りのありとあらゆる神々を造り出し、拝んできました。しかし、それ自体が、神について無知であることの表れなのです。

なぜなら、真の神は、「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神」(使徒17:24)であるからです。神は人をもお造りになった偉大な方であって、人間が神を造り出すなどということは、発想そのものが間違っているのです。人間が想像力を働かせて生み出し、手でこしらえて形作った神々と呼ばれるものは、人間が造らなければ存在すらできないのですから、当然人間以下の存在です。そのようなものに人を救う力はありません。しかし、それにも関わらず、人々が人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像を神と考えて拝むのは、真の神を拒み、自分の欲望に従って歩みたいからなのです。人々が真の神について無知であるのは、神を知ることができないからではなく、「神を知ろうとしたがらない」(ローマ1:28)からなのです。このような無知は罪であり、死後にさばきを受けて永遠の火の池で刑罰を受けるに値するのです。

ですから、「神は、・・・今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。」悔い改めとは、神に対する態度を変えることを意味します。すなわち、神を拒み、偽の神々を慕ってきた人生が罪であることを認め、真の神を神として受け入れることです。その真の神こそ、私たちの罪のために十字架にかかり、身代わりにさばきを受けられ、三日目によみがえられたイエス・キリストです。あなたが、偶像から立ち返り、イエス・キリストを救い主として受け入れるならば、神は、あなたの罪を赦し、あなたを死後のさばきから救ってくださいます。

どうか、本当に神を知る方となってください。

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