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新しく生まれる

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」 ヨハネの福音書3章3節

聖書は、真の信者を「新しく生まれた者」と定義しています。ですから、もしあなたが、教会の会員であっても、立派な信仰告白をしていても、礼拝を欠かさずにささげているとしても、新しく生まれていないならば、救われていません。しかし、新しく生まれているのならば、あなたは神の子であり、神の国の相続者であり、生ける望みを持つ幸いな者のひとりなのです。

では、新しく生まれるとは、どういうことなのでしょうか。それは、神から新たにいのちを頂くということです。神は、人がキリストを信じる時に、永遠のいのちを与えてくださいます。まさにその瞬間、人は神によって新しく生まれるのです。その時に、人は新しいいのちを受けたという特殊な体感をすることはありませんが、新生はまぎれもない事実なのです。

この新生は、肉による誕生と完全に区別されています。「肉によって生まれた者は、肉です。御霊によって生まれた者は霊です。」(ヨハネ3:6)従って、新生とは、生まれながらの人間を新しく造り変えることではありません。また、新しいいのちは、肉が改善されたものでもありません。

肉による誕生とは、人が、一度肉の両親から生まれた時のことを指します。人は、その時に肉と呼ばれるアダム伝来の堕落した人間性を受け継いで生まれました。この肉は、罪に支配されており、完全に堕落しています。「肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。」(ローマ8:7)そして、この肉の邪悪な性質は絶対に変わりません。「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。」(エレミヤ17:9)ですから、神は、改善の余地のない堕落した肉から生まれた肉である人間を受け入れることがおできにならないのです。それで、人が神の国に入るためには、肉による誕生とは別の新しい誕生すなわち神からいのちを頂いて新しく生まれることが必要なのです。

 ですから、新しく生まれた真の信者は、古いいのちと新しいいのちの二つのいのちと、それらのいのちに付随する二つの性質を持っているのです。新しいいのちの主な性質は、神を愛することと主にある兄弟を愛することです。「イエスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたのです。生んでくださった方を愛する者はだれでも、その方によって生まれた者をも愛します。」(第一ヨハネ5:1)

ですから、真の信者は、新生そのものを体感することはありませんが、新しいいのちによって実際的に神を愛し、兄弟を愛するという新生の結果を経験することができるのです。そして、そのことを通して自分が新しく生まれた者であることを確信することができるのです。「私たちは、兄弟を愛し続けているので、自分が死からいのちの中に移ってしまっていることが分かるのです。」(第一ヨハネ3:14)「子どもたち、口先のことばによってだけでなく、行いと真実によって愛しましょう。このことによって、私たちは、自分が真理に属しているということを確認することができ、またこの方の御前で自分の心に確信を持たせることができるのです。」(第一ヨハネ3:18〜19)

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