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平等を図られる神

「私はこのことによって、他の人々には楽をさせ、あなたがたには苦労をさせようとしているのではなく、平等を図っているのです。今あなたがたの余裕が彼らの欠乏を補うなら、彼らの余裕もまた、あなたがたの欠乏を補うことになるのです。こうして、平等になるのです。『多く集めた者も余るところがなく、少し集めた者も足りないところがなかった』と書いてあるとおりです。」 コリント人への手紙第二8章13~15節

聖霊に導かれたパウロは、コリントの信者たちに、迫害とききんのゆえに困窮しているエルサレムの聖徒たちのために献金をするようにお願いしました。それは、決してエルサレムの聖徒たちには楽をさせて、コリントの信者たちばかりに苦労をかけさせようとしているのではありませんでした。それはむしろ、平等を図るためであり、余裕のある集まりから欠乏している集まりへの恵みの分配であったのです。

これはちょうど、荒野を旅していたイスラエルにマナが与えられたとき、ひとり当たり一オメルずつ分配されたのと同じです(出エジプト記16章16~18節)。彼らがマナを集めたとき、多く集めた者も余らず、少し集めた者も不足しなかったのは、多く集めた者が少し集めた者に分け与えたからです。荒野の過酷な境遇の中で、平等に分け合うイスラエルの姿は何と美しいことでしょうか。

 神は、「キリストの貧しさによって富む者と」(コリント人への手紙第二8章9節)なった教会にも同じ姿を求めておられます。主にあって愛すべきある集まりが、欠乏の中に置かれ、今も主にその必要を訴えています。そして、私たちの手元には、「聖徒たちをささえる交わりの恵みにあずか」(コリント人への手紙第二8章4節)るための霊的な種(コリント人への手紙第二9章10節)があります。神は、私たちがその種をどこにどれだけ蒔くのかを、非常な関心を持って見ておられるのです。そして、「神は喜んで与える人を愛してくださいます。」(コリント人への手紙第二9章7節)

確かに私たち自身も、過酷な境遇の中にあります。サタンの支配するこの世は、クリスチャンにとって荒野のような場所です。私たちもいつ余裕を失い、欠乏の中に置かれるのか分からないところです。しかし、だからこそ愛の真実さをあかしする絶好の機会なのです。聖霊はパウロを通して、私たちの心に印象深くこう語りかけておられます。「あなたがた自身の愛の真実さを確かめたいのです。」(コリント人への手紙第二8章8節)

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