神の息が吹き込まれてある聖書
2014年11月9日
「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」テモテへの手紙第二3章16節
聖書は神のことばであるので、誤りがなく、その一点一画も決してすたれずにすべてが成就される、完全かつ絶対なる書物です。従って、聖書は、私たちが全幅の信頼をもって読むべきものであり、服従すべきものです。聖書を神のことばとして信じる者は、この点について心から同意されるはずです。しかし、聖書の卓越さはそれだけではありません。聖書は、誤りのない書物であるばかりか、力ある書物なのです。完全な書物であるばかりか、生きて働きかける書物なのです。
冒頭のみことばにある「神の霊感によるもので」ということばは、ギリシャ語の「Θεόπνευστος(セオプニューストス)」の訳です。この言葉の直訳は、「神の息(霊)が吹き込まれてある」です。ですから、このみことばは、聖書が神の霊感によって書かれたという過去の成立の過程を意味しているのではなく、聖書には神の息が吹き込まれてあるという現在の事実を語っているのです。「新約聖書ギリシャ語小辞典」の著者 織田昭氏は、この言葉の解説の中で次のように書いています。「つまり、全聖書は神の息(霊=死者を生かす力)を吹き込まれた言葉であり、従って、現にその中から神の霊が読む人の霊に力強く働いて、死んだものを生かさずにおかない生きた書物であることを意味する。」(新約聖書ギリシャ語小辞典p255)
神の息(霊)には、死者をも生かす力があります。
「神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。」(創世記2:7)
「神の霊が私を造り、全能者の息が私にいのちを与える。」(ヨブ33:4)
「私が命じられたとおりに預言すると、息が彼らの中に入った。そして彼らは生き返り、自分の足で立ち上がった。」(エゼキエル書37:10)
この神の息が、今聖書のすべてに吹き込まれてあるのです。従って、聖書には、霊的死人にいのちを与える力があります。また、霊的幼子を神の人に仕立て上げる力があります。そして、神の人を「全ての良い働きのために完全に整えられて完全装備された者」(第二テモテ3:17)とする力があるのです。神は、何と尊い書物を私たちのために備えてくださったことでしょう。私たちは、生来の才能・性格・努力によってではなく、聖書による「教えと戒めと矯正と義の訓練」によって神のために整えられるのです。
ですから、私たちは、より一層の熱意をもって、聖書をよく読み、調べましょう。そして、聖書の力強い働きかけを拒まず、従順な心でそれに聞き従うものでありましょう。