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再臨の希望(その4)

3.行いに応じて報いを受ける
「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。」(黙示録22:12)
「ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠された事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。」(第一コリント4:5)

主イエスは、私たちを迎えに来られる時、一人ひとりの働きにふさわしく報いるために、報いを携えて来られます。主は、私たちがこの地上でした主のための労苦をすべて覚えておられます。「神は正しい方であって、あなたがたの行いを忘れず、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないのです。」(ヘブル6:10)たとえ、人の目には隠されていたもの、忘れられたものであっても、主の心には永遠に記憶されていたのです。また、様々な事情で実行には移され得なかった心の中のはかりごとも、主はご存知です。主は、ご自身のために払われた多大な犠牲はもちろん、ほんのわずかな愛の現れさえも決して見過ごされることはありません。福音を伝えるために出て行く犠牲、みことばを語るための準備や労苦、働き人を支えるためにささげられる献金、すべての聖徒のためにささげられる忍耐深い祈り、教会堂の管理や掃除、給仕や雑務、弱い信者への助けなど、そのすべてに対して主は報いてくださるのです。

主は、忠実に仕えた者たちに「よくやった。良い忠実なしもべだ。」と言って称賛してくださいます。王の王、主の主であられるお方から受ける称賛は、どれ程の光栄、どれ程の栄誉でしょう。また、主は、ご自分を愛する者たちのために冠を用意しておられます(第一コリント9:25、第二テモテ4:8、ヤコブ1:12、第一ペテロ5:4)。それは、「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。」(第一コリント2:9)です。主は、主が私たちのために払ってくださった犠牲に比べれば取るに足りない私たちの労苦に対して、永遠に価値あるもので報いてくださるのです。

主は「タラントのたとえ」(マタイ25:14〜30)の中で、五タラント(約三億円)もうけたしもべに対して「あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。」と言って報いた主人について語られました。五タラントを「わずかな物」と言うほど豊かな人の与える「たくさんの物」とは、一体どれ程の物なのでしょうか。この主人によってたとえられている主イエスは、私たちにも同じように報いてくださるのです。

(続く)

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