再臨の希望(その5)
2014年12月30日
4.愛する主とお会いする
「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。・・・次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」(第一テサロニケ4:16〜17)
空中再臨を待ち望んでいる信者の最大の楽しみは、愛する主とお会いすることです。かつてラザロは「御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれ」(ルカ16:22)ましたが、光栄ながら、私たち教会が天に迎え入れられるにあたっては、主イエス自らが、直々に下って来てくださるのです。そして、空中で主とお会いし、「キリストのありのままの御姿を見ることができる」(第一ヨハネ3:2)のです。
これまで私たちは、「イエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じて」(第一ペテロ1:8)きました。聖書を通して、主イエスのすばらしさを学んでは来ましたが、それは「(曇り)ガラスを通して御顔をぼんやりと見て」(第一コリント13:12)いるようなもので、不完全な知識でした。「しかし、その時、顔と顔を合わせて見ます。・・・その時、実に今私が完全に知られているように、私は(その御方を)必ず完全に知るようになります。」(第一コリント13:12)
かつて、シェバの女王がソロモンに「私が国であなたの事績とあなたの知恵とについて聞き及んでおりましたことはほんとうでした。実は、私は、自分で来て、自分の目で見るまでは、そのことを信じなかったのですが、驚いたことに、私にはその半分も知らされていなかったのです。あなたの知恵と繁栄は、私が聞いていたうわさよりはるかにまさっています。」(第一列王記10:6〜7)と言った以上に、私たちはソロモンよりはるかにまさっておられる主イエスのすばらしさに驚くでしょう。そして、主イエスの手足の傷の跡を見て、私たちのような者のために十字架にかかってくださった主の人知をはるかに超えた愛にことばを失うことでしょう。
私たちは、そのようなすばらしい御方の花嫁として、いつまでも主とともにいることになり、主と永遠に愛と栄光を分かち合うことができるのです。なんと幸せなことでしょう!
このように、主イエスの空中再臨は、教会時代のすべての信者にとっての希望です。再臨の教えこそ、悲しみの中にいる者を励まし、苦難の中にいる者に忍耐を与え、働き人にいつも主のわざに励む動機を与えるすばらしい教えです。主のご再臨は間近です。ですから、私たちは、主のご再臨を待ち望み、花婿なる主イエスを心から愛して歩みましょう。「主を愛さない者はだれでも、のろわれよ。主よ、来てください。(マラナ・タ)」(第一コリント16:22)