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からだは聖霊の宮である

「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。」 コリント人への手紙第一6章19~20節

私たちのからだの所有権が神にあることを知るのは、とても大切なことです。この世の人々は、神のご支配を拒んでいるため、神の所有権についても無視しており、いのちもからだも自分の所有物であると考えています。そのため、自分勝手にからだを用いることが悪であるとは考えていません。コリントの町では「食物は腹のためにあり、腹は食物のためにあります。」「からだは不品行のためにある」(コリント人への手紙第一6章13節)といった考えが一般的となっていて、コリントの町の多くの人々は、欲望を満たすために自分のからだを用いていました。その結果、彼らは性的不道徳に陥り、自らのからだを傷付け、人生を破滅に導いていたのです。

しかし、私たちは、自分のからだをそのように用いるべきではありません。なぜなら、私たちのからだは、もはや自分自身のものではなく神のものであるからです。それは、私たちが「代価を払って買い取られた」からです。アダムの子孫であった私たちは、かつて神の怒りの下にありましたが、キリストが罪の代価としてご自身の尊い血を父なる神に支払ってくださったことによって、私たちを神の怒りの下から買い取ってくださったのです。ですから、私たちはキリストの血によって、永遠のさばきから救われ、同時にキリストの所有のものとされたのです。そして、私たちがキリストの所有であることのしるしとして、聖霊がキリストの代理となって私たちの中に住んでおられるのです。ですから、私たちのからだは「聖霊の宮」と呼ばれているのです。

私たちのからだは、キリストがご自身の尊い血をもって買い取ってくださった大切なからだです。ですから、神の所有であるからだを私たちが乱暴に扱ったり、自分勝手に用いてはならないのです。むしろ「自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。」と命じられているように、所有者である神の栄光を現すためにこのからだを用いることが私たちにふさわしいことなのです。

そして、無力な私たちが神の栄光を現すことができるためにも、聖霊が私たちの内に住んでおられるのです。私たちが依り頼むときに、聖霊は私たちを助けてくださり、歩みの原動力となってくださいます。そのように、何もできない私たちが、聖霊の力によって用いられたときに、「私たちの」ではなく「神の」栄光が現されるのです。

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