万人救済論(万物の復興)への反論
2016年1月20日
万人救済論とは
万人救済論の根拠
万人救済論者が万人救済論を主張する根拠は、神の愛です。彼らは、ヨハネ1:29、ヨハネ3:16、ヨハネ4:42、Ⅱコリント5:19、Ⅰテモテ2:4、Ⅰテモテ4:10、テトス2:22、Ⅱペテロ3:9、Ⅰヨハネ2:2などを取り上げ、神が世の全ての人を愛しておられるのなら全てを救うはずであり、全能なら全てを救えるはずだ、と説きます。
そして、万人救済を示す聖書箇所として、マタイ19:28の「世が改まって」、使徒3:21の「あの万物の改まる時」、エペソ1:10の「いっさいのものがキリストにあって、天にあるもの地にあるものがこの方にあって、一つに集められるのです。」の3箇所を挙げます。
万人救済論への反論
まず、万人救済を示す箇所としてあげられる3箇所についてですが、いずれも万人救済を語る箇所ではありません。マタイ19:28の「世が改まって」、使徒3:21の「あの万物の改まる時」は、世の終わりの万人救済を指しているのではなく、千年王国の到来について語っている箇所です。それは、前後の文脈「世が改まって人の子がその栄光の座に着くとき」(マタイ19:28)、「主の御前から回復の時が来て、あなたがたのためにメシヤと定められたイエスを、主が遣わしてくださるためなのです。」(使徒3:20)を読むと明らかです。すなわち、「万物の改まる」とは、「全ての人の救い」という意味ではなく、「全被造物の回復(つまり、自然界がエデンの園のように回復する。ローマ8:20、21参照)」という意味です。また、エペソ1:10の「いっさいのもの」とは、全人類を指しているのではなく、すでに天にいる信者とまだ地上にいる信者を指しています。それは、繰り返し「キリストにあって、・・・この方にあって」と語られていることから明らかです。
次に、万人への愛を根拠に万人救済を論じる点についてです。確かに、神は、聖書が語る通りに世を愛しておられ、全ての人の救いを願い、全人類のためにキリストを十字架につけられました。しかし、聖書は、救いは信じる者にのみ与えられ、信じない者はさばかれると繰り返しはっきりと語っています(ヨハネ3:18、36など)。もし、全ての人が自動的に救われているのならば、悔い改めや信仰を人間に求める必要はなく、聖書の中にそのような箇所は不要のはずです。しかし、聖書は、人間に悔い改めと信仰を要求しています(使徒2:38、16:31、17:30、20:21)。それは、悔い改めと信仰が救いの条件であるからです。