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限定的贖罪論への反論

限定的贖罪論とは

限定的贖罪論とは、主イエスの十字架の贖いの死は、救いに選ばれた者のためだけであり、すべての人のためではないとする教理です。これは、カルヴァン主義神学の5つの特徴の内の一つです(ジャン・カルヴァン自身は、晩年に無制限の贖罪を受け入れたようです)。カルヴァン主義者は、「キリストの贖いがすべての人のためであったとするならば、万人が救済されてしまうが、実際には滅びる人がいるので、キリストは選ばれた者だけを確実に贖われた。神がすべての人を愛されたというのは、特定の選民すべてを愛されたという意味で、他の人は神の特別な愛を受けることはできない。」と主張します。

限定的贖罪論の根拠

カルヴァン主義者が限定的贖罪論の根拠としてあげる主な聖書箇所は、「わたしは羊(選ばれた者たち)のためにわたしのいのちを捨てます。」(ヨハネ10:25)、「キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられた」(エペソ5:25)です。

限定的贖罪論への反論

もし、限定的贖罪が事実なら、私たちは求道者に対して「あなたのためにキリストは死なれました。」と宣言できなくなります。なぜなら、その人が神に選ばれている人なのか、私たちには分からないからです。これでは、大胆に福音を語ることができなくなります。では、聖書は何と言っているのでしょうか。

確かに、聖書は上述の箇所のように、キリストが選ばれた者のために死なれたと教えており、「すべてのもの」という語が「選ばれたすべての者」という意味で用いられている箇所があります(マタイ11:27、ルカ10:22、エペソ4:6、コロサイ1:20の「万物=すべてのもの」など)。しかし、教理はある特定の聖書箇所だけを取り上げて決定すべきものではありません。聖書全体の教えと調和させなければなりません。

聖書は、キリストが選ばれた者のために死なれたと教えていると同時に、すべての人のために死なれたとも教えています。ヨハネ3:16、Ⅰテモテ2:6、ヘブル2:9、などがそうです。特にⅠヨハネ2:2の「この方こそ、私たちの罪のための−私たち(信者)の罪だけでなく、世全体のための−なだめの供え物です。」は、明確にキリストの死が選ばれた者のためだけではないことが語られています。キリストは全人類のために死なれたのですから、そこに含まれる「選ばれた者」のために死なれたということも事実であり、それは矛盾ではありません。しかし、「選ばれた者のためだけ」というならば、聖書の教えに反することになります。

結論

限定的贖罪論は、神の普遍かつ公平な愛を否定する非聖書的な教えです。神は、全人類の救いを願っておられ(Ⅰテモテ2:4)、すべての人に教会を通して福音を届けようとしておられます(マルコ16:15)。ですから、私たちは、大胆にキリストの十字架の死と復活の福音をすべての人に語り続けましょう。

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