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人命軽視の風潮(その1)

※京都恵みキリスト教会発行 教会通信第1号より転載

近年、犯罪の低年齢化が進んでいます。恐ろしいことに、子どもたちの間でさえ、人の命が軽く扱われています。小遣い欲しさ、憂さ晴らし等のささいな理由で、簡単に人の命を奪ってしまうのです。母親の腕に抱かれミルクを飲んでいる赤ん坊を見る時、誰もが「この子の命が奪われてはならない」と思うことでしょう。なぜ、人の命が軽んじられているのでしょうか。

美術館に勤める人は、美術品(芸術品)の価値を知っているので、それが自分の物でなくても、大切に扱います。しかし、その価値を知らない人は、それらを粗末に扱うのです。人の命を粗末に扱う人は、命の本当の値打ちを知らないので、簡単に殺人行為におよんでしまうのです。そして、他人の命を粗末に扱う人は、自分の命の値打ちも理解していないのです。イエス・キリストは「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。」と言われました。人のいのちとは、実に尊く価値のあるものです。

それは、人間が神様によって創造された、素晴らしい芸術品であるからです。数年前、卵を割ることの出来るロボットが開発されました。私たちは何気なく卵を割っていますが、実は非常に絶妙な制御が必要なのだそうです。今世紀になって初めてロボットに出来るようになった制御能力が、人間には、何千年も前から備えられていたのです。人間の体は、確かに神様の素晴らしい作品です。

さらに最近では、感情を示すペット型ロボットも作られています。人間に感情があるからこそ、人間は自分の感情を分析し、それをコンピューターにプログラミングすることが出来たのです。もし人間が、卵も割れない、感情も持たない存在なら、卵を割れるロボットや、感情を持つロボットは作れないということです。

人間は、本当に細やかな愛情を持ち、また繊細な動きをすることが出来ます。これは、感情を持ち、また秩序を与えることの出来る知性を持たれた造り主、神様のご存在を明確に証明しています。

(続く)

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