心が満たされなかったザアカイ
2014年6月29日
「それからイエスは、エリコに入って、町をお通りになった。ここには、ザアカイという人がいたが、彼は取税人のかしらで、金持ちであった。彼は、イエスがどんな方か見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。それで、イエスを見るために、前方に走り出て、いちじく桑の木に登った。ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとしておられたからである。」 ルカの福音書19章1~4節
聖書の中に、ザアカイという人が出てきます。ザアカイは、取税人のかしらでした。その当時、イスラエルの国はローマ帝国の支配下にあり、ローマ皇帝に税を納めなければなりませんでした。ザアカイは、自分と同じイスラエル人から、皇帝に納めるための税を集めていたのです。そして、それだけではなく、多くの者たちから金をだまし取っては自分のものにしていたのです。
ザアカイは、金が自分を幸せにしてくれると考えたのです。(これは、今日でも多くの人々が持っている考えです。)しかし、多くの金を手に入れてもザアカイの心は満たされませんでした。
では、ザアカイに必要なものは何だったのでしょうか。それは、「希望」です。たとえ、死がやって来ても失うことがなく、永遠に待ち続けることのできる「希望」が必要なのです。ザアカイが持っていた金は、いつまでもザアカイを楽しませてはくれません。死がやって来たなら全てをおいて、死後のさばきの場所である地獄で、神様から罪の刑罰を受けなければならないのです。
ところで、あなたはどうでしょうか。確かな「希望」をお持ちですか。今、死がやって来ても天国に行くことができますか。どうか、真剣にお考えになってください。
今から約2千年前に、イエス・キリストがあなたの罪のために十字架で死なれ、死後三日目の日曜日の朝によみがえられたのです。イエス様こそ、真の神、唯一の救い主です。あなたがイエス様をお信じになるなら、あなたの罪が赦されて、あなたは天国に行くことができるのです。金では買うことのできない、永遠の「希望」がここにあるのです。どうか、イエス様をお信じになってください。