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キリストのからだの各器官

「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」 コリント人への手紙第一12章26~27節

すべての信者は、キリストを信じた時、聖霊によってキリストのからだにバプテスマされました。キリストのからだとは、現在地上に存在しているすべての信者によって構成されている一つの集まりです。キリストは、かしらとしてこのからだを用いて福音伝道の働きと教会形成を進めておられます。

そして、私たち一人一人は、キリストのからだを構成する一器官とされているのです。ですから、ちょうどからだの各器官にはからだ全体のための役割があるように、信者の各々に御霊の賜物と呼ばれる霊的な能力が分け与えられており、からだ全体の益のために役割と責任が与えられているのです。

ですから、からだの中で不必要な器官がないように、不必要な信者はありません。「『私は手ではないから、からだに属さない』・・・『私は目ではないから、からだに属さない』と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。」(コリント人への手紙第一12葉15~16節)と書かれてあるように、たとえ自分自身で勝手に不必要だと考えたとしても、神はそう見ておられません。「しかしこのとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。」(コリント人への手紙第一12章18節)神は、あわれみをもって、すべての信者をご自身の栄光を現すために用いることをみこころとされたのです。キリストのからだの中で最も弱いと見られる者も、「かえってなくてはならないもの」(コリント人への手紙第一12章22節)として神は尊んでおられるのです。

ですから、もし、一人の信者が熱心さを失い、賜物を用いないなら、からだ全体が苦しむのです。反対に、一人の信者がより一層熱心になり、益々賜物をみなの益のために用いるならば、からだ全体の喜びとなるのです。

私たちは、一人一人の責任の重大さと特権の大きさをわきまえて、キリストのからだの一器官として忠実に主に仕えていきましょう。

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