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ロトが失ったもの(その1)

「ロトはそのヨルダンの低地全体を選び取り、その後、東のほうに移動した。・・・ロトは低地の町々に住んで、ソドムの近くまで天幕を張った。」 創世記13章11~12節

神が「世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。」(ヨハネの手紙第一2章15節)と語られるのは、決して私たちから意地悪く何かを取り上げるためではありません。むしろ、世を愛することの悲惨な結末から私たちを救うための警告なのです。神がアブラハムに約束された祝福の地を離れてソドムを選び取ったロトの人生は、世を愛することの悲劇を私たちに教えています。特に、創世記19章は、ロトが失ったものを教えています。

1.神との交わり
ふたりの御使いがソドムに遣わされた時、ロトは彼らを家に迎えてもてなそうとしましたが、御使いたちは「いや、わたしたちは広場に泊まろう。」(創世記19章2節)と言って拒みました。これは、ロトの家よりも広場の方がましであるという痛烈な皮肉です。

かつて、神は二人の御使いと共にアブラハムに直々に現れ、アブラハムのもてなしを快く受け入れられました(創世記18章1~8節)。神は、アブラハムとの交わりを喜ばれ、アブラハムの信仰を励まし(18章9~10節)、アブラハムにソドムについてのご自身の計画を明らかにされ、とりなす機会をお与えになりました(18章16~33節)。アブラハムは何と幸いな神との交わりの中にあったことでしょう。

しかし、ロトは汚れたソドムに住んでいたため神との交わりを失っていました。ロトは、神から励ましを受けることもできず、神のご計画も知らされず、そのためソドムの町の結末・実態について全くの無知でした。滅びゆく「ソドムの門のところにすわっていた」(創世記19章1節)ロトの姿は、何と哀れでしょう。

2.道徳的感覚
「私にはまだ男を知らないふたりの娘があります。娘たちをみなの前に連れて来ますから、あなたがたの好きなようにしてください。」(創世記19章8節)

ロトは、長らく神との交わりから離れて、ソドムの住人と交わっていたために、道徳的な鋭い感覚を失っていました。客の安全と引き換えに自分の娘たちをよこしまなソドムの住人に差し出そうとするなど、如何に彼の良心が狂っていたのかを現しています。神の子どもたちが、下品なことばを話したり、不道徳に対して鈍感であることに良心の痛みを感じなくなるなら、それは恥ずべきことであり、神の御名を大いに汚します。

「友だちが悪ければ、良い習慣がそこなわれます。目をさまして、正しい生活を送り、罪をやめなさい。」(コリント人への手紙第一15章33~34節)

(続く)

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