なぜ神は悲劇を見過ごすのか?(2019年秋号)
「神も仏もない!」この世の悲惨な出来事を目の当たりにしたときに、多くの人はそう言います。「神がすべてを知っていて、何でもできるのなら、どうして未然に防がないのか。神が愛なら、苦境の時こそ人を救うべきではないのか。」無神論を唱える人たちは、このように悲劇の存在を、神を否定する根拠にします。
では、「愛の神」と「悲劇」は共存し得ないのでしょうか。
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「神も仏もない!」この世の悲惨な出来事を目の当たりにしたときに、多くの人はそう言います。「神がすべてを知っていて、何でもできるのなら、どうして未然に防がないのか。神が愛なら、苦境の時こそ人を救うべきではないのか。」無神論を唱える人たちは、このように悲劇の存在を、神を否定する根拠にします。
では、「愛の神」と「悲劇」は共存し得ないのでしょうか。
旧約聖書に「ノアの時代の大洪水」の記述があります。聖書を信じるクリスチャンはこの大洪水を事実であると信じていますが、多くの方は神話に過ぎないと考えています。果たして、どちらが正しいのでしょうか。大洪水が事実であるという証拠はあるのでしょうか。
毎年、12月25日になると世界中でクリスマスが祝われています。クリスマスとは、イエス・キリストのご誕生を祝う記念日として人々が定めた日です。なぜ、キリストのご誕生は世界中の人によって祝われているのでしょうか。それは、キリストが全人類の救い主であるからなのです。
誰しも自分の健康には気を配るものです。体の健康のためには、きちんと医者に診てもらい、その診断結果を受け入れ、治療することが大切です。これは、たましいについても同じことが言えます。あなたを造り、生かしておられる神が、聖書を通してあなたのたましいの健康状態を告げておられます。
あなたは、人生にむなしさを覚えられたことはありませんか。「単調な毎日をただ繰り返し、最期は死を迎える。そんな人生に何の意味があるのだろうか。」「何のために生きているのだろうか。」「なぜ無意味な人生のために労苦しなければならないのか。」と、多くの方は心のどこかで感じながらも、むなしさを必死にごまかして生きているのではないでしょうか。
12月になると街はクリスマスムードに包まれます。クリスマスは、イエス・キリストの誕生を祝う祭りです。キリストは「愛の人」などと理解されていますが、十字架につけられて処刑された方でもあるのです。なぜキリストは十字架につけられたのでしょうか。キリストは極悪人であったのでしょうか。それならなぜ、世界中でキリストの誕生が祝われているのでしょうか。
イエス・キリストが語られたたとえ話に出てくる金持ちは、非常に賢い人のように思えます。多くの人が「人生の成功者」と思うでしょう。しかし、神はそんな金持ちを「愚か者」と呼んで責められたのです。
このたとえ話から、イエス・キリストが全ての人に警告しておられることがあります。
聖書が書かれた紀元50年ごろのギリシャのアテネでは、いたる所にあらゆる神々が祭られ、人々はそれらを拝んでいました。キリストの使徒パウロはそれを見て「宗教心にあつい」という印象を持ったのです。しかし、「宗教心にあつい」のは当時のアテネだけでなく、現在の日本でも同じではないでしょうか。そして、このような宗教心は正しいのでしょうか?
みなさんは、聖書をどのような書物と考えておられるでしょうか?印刷・発行部数、翻訳言語数世界一の聖書は、単なる宗教書や道徳書とは説明できないほど多大な影響力を持っています。なぜこれほど普及し、多くの人に影響を与えているのでしょうか?