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3つのくびき(その5)

3. 主イエスのくびき

「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11:29、30)

主イエスのくびきこそ、私たちが負うべきくびきです。実際のところ、この主イエスのくびきを負うことなしに、先の2つのくびきから完全に解かれることはありません。ある悪から離れても主イエスに結びつかなければ、別の形の悪に結びつくだけです。「奴隷のくびき」を解いた後に「つり合わぬくびき」を負うなら、結局のところ状態は不健全なままです。しかし、私たちが主イエスのくびきを負うなら、同時に他のくびきをつけることは不可能ですから、最も安全かつ健全な状態にあると言えます。

では、主イエスのくびきを負うとは、どういうことでしょう。それは、主イエスの弟子となることを意味します。若い牛がベテランの牛とくびきを共にして仕事を学ぶように、私たちは主イエスの弟子となることによって主イエスから神の栄光を現すための新しい歩み方を学ぶことができるのです。新しい歩み方とは、信仰による歩みです。

以前の私たちは、肉や世に依存して歩んでいました。肉の才能や知恵を活かすこと、世の援助や協力を得ることによって歩んできたのです。しかし、それらは、神の栄光を現すためには何の役にも立ちません。いや、神の栄光を汚すものでしかありません。ところが、何としばしば私たちは、救われた後も肉や世に依存して歩んでしまうことでしょう。だからこそ、私たちは失敗し、疲れ、苦しむのです。ほとんどの信者は、頭では肉や世が悪であり、それに頼ることが良くないことであると知っています。しかし、知識は信仰ではありません。私たちは、実際的に神に頼ることを教えられる必要があるのです。

では、それはどこで学ぶことができるのでしょう。主イエスとの交わりの中においてです。私たちは、肉の邪悪さを知るために、わざわざ「奴隷のくびき」をつけたり、世がどんなに腐敗しているのかを知るために「つり合わぬくびき」をつける必要もありません。主イエスこそが最良の教師です。主イエスは、「重い荷をくくって、人の肩に載せ、自分はそれに指一本触ろうとはし」(マタイ23:4)ないユダヤ教の指導者たちのように冷たく、厳しい方ではありません。この方は、「心優しく、へりくだって」私たちに教えてくださいます。

心優しくとは、忍耐深く教えてくださるということです。私たちが神に頼らなかったために失敗し、主イエスに損害をかけてしまうことがあったとしても、この方は決して私たちを見捨てたりはなさいません。なぜ失敗したのかを教えてくださり、神に頼るように励ましてくださるのです。何度でも、何年でも忍耐を持って指導してくださるのです。その素晴らしい実例を、ヤコブに対するお取り扱いに見ることができます。

(続く)

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