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3つのくびき(その7・最終回)

このように、主イエスのくびきを負うならば、主イエスが心優しく教えてくださり、着実に信仰によって歩むということを実習させてくださるのです。

また、主イエスは、へりくだって導いてくださいます。へりくだってとは、私たちの幼い信仰に合わせてくださるということです。すなわち、今の私たちの信仰で担える奉仕を負わせてくださり、耐えられる試練を与え、訓練してくださるということです。

かつて、主は、カナンの地に帰るためにエジプトを出たばかりのイスラエルの民を、近道であるペリシテ人の国には導かれず、わざわざ荒野の道へと遠回りさせられました。それは、「民が戦いを見て、心が変わり、エジプトに引き返すといけない。」(出エジプト13:17)からでした。主は、エジプト出発直後のイスラエルの民には、まだペリシテ人と戦う信仰がないことをご存知であったのです。それで、彼らを荒野に導いて、まずそこで彼らを訓練されたのです(申命記8:2~5)。このように、主はへりくだって、ひとりひとりの信仰の度合いに応じた取り扱いをしてくださるのです。いきなり激しい戦い、耐えられない試練、大きな責任を負わせることはなさいません。主が私たちを訓練されるのは、私たちを倒すためではなく、立たせるためであるからです。「彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない」(マタイ12:20)そして、信仰の成長とともに、さらなる訓練を与えて、次のステップへと導いてくださるのです。

このように心優しく、へりくだったお方の導きによって、どんな信者も信仰の人、神のしもべへと変えられるのです。そして、主イエスのくびきを負い、主イエスから神に頼ることを学んだ人は、平安と喜びの中を力強く歩むようになるのです。なぜなら、主イエスのくびきは「負いやすく」、主イエスの「荷は軽い」からです。主イエスの荷が軽いのは、決して奉仕の責任が軽いからではありません。主が、共にその荷を負ってくださるからです。主は全能のお方です。私たちに負いきれない重荷も、主にとっては一枚の羽毛に過ぎません。私たちにできないことが、主にはできるのです。ですから、このお方に共に荷を負って頂くならば、どんなに弱く、力のない人であっても、主の働きに用いられ、生き生きと力強く前進していくことができるのです。

主は、今、あなたを招いておられます。「わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。」どうか、この主の招きに応えてください。今日から、主の弟子となって、主と共に人生を歩み始めてください。そうすれば、必ずや、あなたのたましいにやすらぎが来るはずです。

(完)

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