確かな人生の道しるべ
2013年11月5日
「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」 詩篇119篇105節
日本の道路には、多くの道路標識があって大変便利です。初めて通る道であっても標識の指し示す通りに進めば、目的地に辿り着く事ができるからです。もし、道路に何の標識もなければ、私たちはどちらに進んで良いのか分からず、途方に暮れてしまうのではないでしょうか。私たちの暮らしに、正しい道しるべは欠かせないものです。
2013年11月5日
「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」 詩篇119篇105節
日本の道路には、多くの道路標識があって大変便利です。初めて通る道であっても標識の指し示す通りに進めば、目的地に辿り着く事ができるからです。もし、道路に何の標識もなければ、私たちはどちらに進んで良いのか分からず、途方に暮れてしまうのではないでしょうか。私たちの暮らしに、正しい道しるべは欠かせないものです。
2013年11月1日
「神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。」 ペテロの手紙第一1章3節
人は、希望がなければ生きて行くことができません。なぜなら、この世界には多くの悩みと苦しみがあるからです。いじめ、病気、貧困、介護、競争社会など、数え上げればきりがないほどの苦しみの中で毎日を生きて行かなければならないのが現実です。そういった中で、ある人たちは苦しみばかりの人生に希望を見いだせず、残念ながら自ら命を絶っているのです。警察庁の発表によると、日本では、毎年三万人以上もの人が自殺をしています。
2013年10月24日
「実に、神の怒りは、真理(の進展)を不当に妨害している人々のあらゆる不敬虔さと不正に対して、天から啓示されているのです。」 エマオ出版訳 ローマ人への手紙1章18節
天地をお造りになり、私たち人間をもお造りになった真の神は、人間のあらゆる不敬虔と不正に対して激しく怒っておられます。
人間の不敬虔について、聖書は次のように語っています。「彼らは、知っていながら神を神として崇めず、また神に感謝を捧げていません。」(21節)人間が神を崇めないのは、神を知らないからではありません。人間は、神のご存在について、神の偉大さについて、すでに知っているのです。「世界の創造以来の、神についての目に見えないもの、実に神の永遠の力と神性が、被造物<人類>によって認識されているということは、彼らに弁解の余地がないほど明白に見られています。」(20節)と聖書に書かれてある通りです。それにも関わらず、人間は真の神を崇めようとしないのです。
2013年10月16日
「わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。」 ヨハネの福音書10章11節
聖書の中では、しばしば人間が羊にたとえられています。羊は、とても弱い動物です。羊は、目が悪く、遠くのものを見ることができません。ですから、危険が迫っていてもすぐに気付く事ができないのです。また、獅子や狼に襲われた時に、戦うための爪や牙を持っていないので、何の抵抗もできないのです。ですから、羊には羊を心から愛して守ってくれる羊飼いが必要なのです。
2013年10月9日
「ピリポはイエスに言った。『主よ。私たちに父(父なる神)を見せてください。そうすれば満足します。』」 ヨハネの福音書 14章8節
上記のことばは、イエス・キリストの弟子のひとりであったピリポのことばです。彼は、天地万物を造られた真の神を知りたいと願っていました。そして、真の神を知った時に初めて本当の満足があると期待していたのです。言い換えれば、真の神を知らない限り、人間には本当の満足はないということなのです。
2013年10月1日
「子たちはみな血と肉と(肉体)を持っているので、主(イエス・キリスト)もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。」 ヘブル人への手紙 2章14節~15節
人間は、一生涯死の恐怖につながれた奴隷であると聖書は語っています。確かに、人は死を恐れています。しばしば、マンションや駐車場に「4」や「9」のつく番号が欠けているのを目にすることがあります。それは、「死」や「苦しみ」を連想させるものなので、「何か不吉なことが起こるのではないか。」という恐怖心を抱く人々に配慮したものです。また、人生における様々な不安も「病気が治らなければ死んでしまう。」「仕事が見つからなかったら食べていけない(つまり死んでしまう)。」という死に対する恐怖心から出てくるものです。
2013年9月24日
「罪の奴隷であった時は、あなたがたは義については、自由にふるまっていました。その当時、今ではあなたがたが恥じているそのようなものから、何か良い実を得たでしょうか。それらのものの行き着く所は死です。・・・罪からくる報酬は死です。」 ローマ人への手紙6章20節~23節」
生まれながらの人間は、みな罪の奴隷であると聖書は語っています。奴隷は、主人の命令に服従しなければならず、一切の自由がありません。それと同様に、人間は罪という主人に支配されている奴隷なのです。
2013年9月19日
「初めに、神が天と地を創造した。」 創世記1章1節
近年、科学技術が大変進歩しており、3Dテレビや様々な機能を搭載した携帯電話などが、私たちの日常の中でも見られるようになりました。誰でもそれらを見れば、それは人間が作った物だと考えます。決して、製作者なしに偶然に出来たものだとは考えません。それは、複雑な仕組みを持った物が、偶然には出来ないことを知っているからです。
2013年9月11日
「預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。」ペテロの手紙 第二1章21節
みなさんは、聖書がどのような書物であるか知っておられるでしょうか?聖書は、15世紀にグーテンベルグが印刷機を開発した時に、世界で最初に印刷された書物で、これまで3,880億部以上印刷・発行されています。そして、2010年現在で2,527の言語に翻訳され、年間3億冊以上頒布されている(日本聖書協会年報参照)他に類を見ない世界一の書物なのです。これほど世界中に普及しているのは、上記の聖書のことばに書かれてあるように、聖書が神のことばであるからなのです。そして、それを裏付ける証拠を聖書自身が提示しています。
2013年9月6日
「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。」 コリント人への手紙第一 15章3~5節
人間にとって最もたいせつなこととは何でしょうか?ある人は、金儲けだと言われるかもしれません。また、ある人は健康であることだと言われるかもしれません。また、ある人は良い人間関係を築くことだと言われるかもしれません。価値観というのは人によって異なりますが、みなに共通して言えることは、現世利益ではないでしょうか?つまり、生きている間に如何に幸せになれるかということです。そして多くの人は、それを得るための情報があるならば何としてでも手に入れようとするのではないでしょうか?