聖書メッセージ

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真の神様と偶像(その2)

人間の罪

それではなぜ、人間は偶像を作り出すのでしょうか? それは、人間が真の神様を認めたくないからです。人間は誰でも、人間の力をはるかに超えた、神と呼ばれる存在がいることを知っています。ですから誰でも、自分には解決できない絶体絶命の危機に直面したときに、心の中で神様に叫び求めるのです。

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真の神様と偶像(その1)

※京都恵みキリスト教会 教会通信第7号より転載

真の神様のご存在

この天と地をお造りになり、私たち人間をも造ってくださった唯一の真の神様がおられます。神様を人間の目で見ることはできません。しかし、神様がお造りになったものによって、神様のご存在を知ることができます。
たとえば、私たちの腕に巻かれている腕時計を見たならば、腕時計を造った人がいることがわかります。また、家を見たならば、家を作った大工さんがいることがわかります。作られた物の存在が、それを作った者の存在を明らかにしているのです。

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十字架の愛(その2)

けれども、神様は罪に汚れた私たちを救おうとしてくださいました。そして、私たちを救うために、救い主イエス・キリストをこの世界に送ってくださったのです。イエス様は、罪のない神の御子であられるのに、私たちの罪のために、十字架にかかって死んでくださったのです。何という、大きな愛ではないでしょうか!

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十字架の愛(その1)

※京都恵みキリスト教会 教会通信第6号より転載

あなたを愛して、あなたのために、最も大切ないのちさえ、惜しまずに捨ててくださったお方がおられます。あなたはそのお方をご存知でしょうか?

そのお方とは、イエス・キリストです。聖書にはこう書かれています。

「キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれた」(聖書 第一コリント15章3節)

今から約二千年前、神の御子イエス・キリストが十字架にかかって死なれたのは、実に、あなたの罪のためであったのです。

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揺るぐことのない平安(その3)

平安を与える方…イエス・キリスト

『私はあなたがたに平安を与えます。私があなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。』—イエス・キリスト—

イエス・キリストはいっさいの問題に解決を与えて私たちに本当の平安を与えることのできる唯一のお方です。イエス・キリストは、神の御子であられながら人間となってこの世にお生まれになりました。そして、私たちのすべての罪を背負って十字架にかかり、私たちが受けるべき罪の刑罰を身代わりに受けて死んでくださいました。さらに、死後3日目に死を打ち破ってよみがえられたのです。

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揺るぐことのない平安(その2)

人生最大の問題

人間にとって最大の問題とは何でしょうか?すべての人に必ずやって来る、逃げることのできない問題、それは死です。この大問題に対して明確な答えを持っているかいないかによって、私たちが真の平安を得るかどうかが決定されます。

たとえ、様々な不安の原因を取り除いても、すなわち、病気が治っても、仕事が成功しても、家庭が円満になっても、裕福になっても、死という問題に対して完全で明確な答えを持たなければ、真の平安はありません。なぜなら、たとえこれらすべてのものを持っていても、死は必ずやって来るからです。そして、人は死の前に全くの無力です。どれだけ死にたくないと願っても、また死について考えなくても、死は突然やってきます。ですから、私たちはこの問題を早急に考えなければならないのです。

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揺るぐことのない平安(その1)

※京都恵みキリスト教会 教会通信第5号より転載
 『平安』というタイトルで、絵のコンテストが行われました。応募作品には、のどかな田園風景の絵や、母親の腕に抱かれて眠る子供の絵などがありました。しかし、その中で最優秀作品に選ばれたのは、荒れ狂う嵐の中、大きな岩の割れ目に設けた巣で、雨風をしのいでいる鳥の親子の絵であったそうです。

確かに、本当の平安とは、どの様な状況の中でも、またどのような大きな問題があっても、決して揺るがないものでなければなりません。

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アダムとキリスト

「もしひとりの違反により、ひとりによって死が支配するようになったとすれば、なおさらのこと、恵みと義の賜物とを豊かに受けている人々は、ひとりのイエス・キリストにより、いのちにあって支配するのです。」(ローマ5章17節)

アダムとキリストを対比することは、実に興味深いことです。アダムは古い人類のかしら(代表)であり、キリストは新しい人類のかしら(代表)です。古い人類はアダムと一体であり、アダムの罪の結果を全てその身に負っています。一方、新しい人類はキリストと一体であり、キリストの十字架の御業によってもたらされる全ての祝福にあずかっています。

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キリストの十字架

「『どくろ』と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。」 ルカの福音書23章33節

紀元30年4月、イエス・キリストはゴルゴタの丘で十字架刑に処せられました。十字架刑は、国家に対する反逆罪への刑罰として、ローマ人が採用した死刑の方法です。しかし、あまりにも残忍で非常な苦痛を伴う極刑であることから、十字架に架けられる者は限られていました。

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何のために生きているのか?(その2)

私たち人間は、神様の栄光のために造られたのです。すなわち、人間は神様と愛し合い、神様を崇めて礼拝し、神様を喜ばせるために造られたのです。ですから、神様は人間を人格的存在とされ、知性と感情と意志を与えてくださいました。それは、人間が、知性によって神様を知り、感情によって神様の愛を喜び、意志によって神様に従うためです。私たちは何という高貴な素晴らしい目的をもって造られたことでしょう。これが人間なのです。

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