聖書メッセージ

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最新メッセージ

預言されていた救い主

「しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」 イザヤ書53章5節

この聖書のことばの中に出て来る「彼」とは、一体誰のことでしょうか?歴史に詳しい人ならば、「人類のそむきの罪のために」という名目で「刺し通される」という表現がぴったりの死に方をした人物は、歴史上イエス・キリスト以外に当てはまる人がいないことをお認めになるでしょう。まさしく「彼」とは、イエス・キリストです。しかし驚くべきことに、このイザヤ書は、イエス・キリストが誕生する約700年前に書かれていたのです。

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汚れの伝染

「『万軍の主はこう仰せられる。次の律法について、祭司たちに尋ねて言え。もし人が聖なる肉を自分の着物のすそで運ぶとき、そのすそがパンや煮物、ぶどう酒や油、またどんな食物にでも触れたなら、それは聖なるものとなるか。』祭司たちは答えて『否』と言った。そこでハガイは言った。『もし死体によって汚れた人が、これらのどれにでも触れたなら、それは汚れるか。』祭司たちは答えて『汚れる」と言った。」 ハガイ書2章11~13節

神は、捕囚からの帰還民たちの霊的な状態を明らかにするために、律法の教えについて祭司たちに尋ねられました。この一連の対話を通して神が明らかにされたことは、「聖さは伝わりにくいが、汚れはすぐに伝染する」ということです。そして、この時代のイスラエルの状態は、まさにそうであったのです。

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偶像礼拝の罪

[:ja]

「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。…それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。」 出エジプト記20章3節~5節

人間が神様に対して犯している罪の中で、最も大きな罪は偶像礼拝です。偶像とは、人間が作り出した偽の神のことです。そして、それらを拝むことが偶像礼拝です。人間は、木や石で作られた像を拝み、死者に香をたき、宗教の教祖をあがめ、動物を祭り上げています。これらは全て偶像礼拝の罪です。全宇宙を造り、私たち人間をも造ってくださった本当の神様は、この罪に対して激しく怒っておられます。

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御子を信じる

「御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」 ヨハネの福音書3章36節

人間にとって一番大切なことは、イエス・キリストを信じることです。なぜなら、神の御子であられるイエス様を信じる者は、永遠のいのちを持って天国に行くことができますが、イエス様を信じない者は、神の怒りがその人の上にとどまって地獄でさばかれるからです。

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真の神と偽の神

「なぜ、国々は言うのか。『彼らの神は、いったいどこにいるのか』と。私たちの神は、天におられ、その望むところをことごとく行われる。彼らの偶像は銀や金で、人の手のわざである。口があっても語れず、目があっても見えない。耳があっても聞こえず、鼻があってもかげない。手があってもさわれず、足があっても歩けない。のどがあっても声をたてることもできない。これを造る者も、これに信頼する者もみな、これと同じである。」 詩篇115篇2~8節

世の中には、偽札をはじめ、高価な美術品の贋作など、本物に似せて作られた偽物がたくさんあります。それらは、一見価値ある物のように見えますが、実際はいざという時に全く役に立たず、何の値打ちもありません。

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人間は、何のために生きているのか?

「神は人をご自身のかたちとして創造された。」創世記1章27節

「人間は、何のために生まれ、何のために生きているのか?」このことは、極めて重要な問題です。もし、私たちがこの問いに、正しく答えることができないなら、私たちは目的のわからない人生を、ただ欲望を満たすために生きていることになります。それでは、動物と何ら変わりません。

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死の備え

「それから人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分のいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。」 ルカの福音書12章16~20節

キリストは、愚かな金持ちのたとえを語られました。この金持ちは、豊かな作物をたくわえておくための大きな倉を建てようと計画しました。それは、これから先何年分もの穀物と財産をたくわえて、安心して暮らして行くためでした。ですから、一見するとこの金持ちは、将来に備えてしっかりと準備をする賢い人のように思えます。しかし、神は彼に「愚か者。」と言われたのです。それは、彼が来るべき死に備えていなかったからです。何とこの金持ちのたましいは、その夜の内に取り去られたのでした。

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偉大な大祭司

「さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。」 へブル人への手紙4章14節

神は、私たちが信仰の告白を堅く保つことを求めておられます。すなわち、キリストを信じた時のみならず、天に入るその日まで「私の救い主は主イエスです。私の希望は天にあります。」とことばによって、生き方によって告白することが、私たちに求められていることなのです。

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賢い人と愚かな人

「だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。また、わたしのことばを聞いてそれを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」 マタイの福音書7章24~27節

キリストは、岩の上に家を建てた賢い人と砂の上に家を建てた愚かな人について語られました。建物を建てる場合に土台がしっかりしていることが大切であるように、人生という家を設計するにおいてもその基礎となる人生観や価値観がしっかりしているかどうかがとても大切であるということです。

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神の選び

「神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。」 エペソ人への手紙1章4節

選びについて学ぶたびに、いつも神の恵みの深さに驚かされます。なぜなら、それは完全に神の御業であり、神の恵みだけが働く場であるからです。みことばは、私たちを天地創造の遥か以前に向けさせています。神は、世界の基の置かれる前に-人はこの場面に存在すらしていません。-私たちを救いに選んでくださいました。永遠の昔から、神のご計画の内に私たちが入れられていたとは、何と驚くべき事実でしょう。 (続きを読む)